小説・集団ストーカー「D氏への手紙」(新設)

この日本で行われている信じがたい犯罪・・・その実態を書き続けます。(最新の記事はこちらを御訪問ください。)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

(131) 岩手・いじめ事件に思うこと

トマト
;">梅雨の合間に
真夏が入り込み・・

まばゆい光の粒子が
この町に降り注いでいます




D様
マスメディアがいじめ事件を連日報道しています。
岩手の男子中学生が電車に飛び込み自殺した事件です。

岩手県矢巾町で起きたこの事件の報道は、人々に怒りとやり切れなさを生じさせています。
メディアは、中野富士見中学(1986年)のいじめ事件以来、何度、同様の事件を報じて来たことでしょう。法則があるかのごとく一定の頻度でいじめ事件は起きています。「いじめ」は、この30年間、同じ態様で繰り返されています。
解決への進展は全くありません。


D様
なぜ「いじめ」は消えないのでしょう?
文部科学省は中野富士見中学の事件以後、その防止に取り組んでいるはずです。事件が起きるたびに対策の不備は見直されているはずで、こんな事件は起こりようもないシステムがとっくに出来上がっていなければなりません。

文科省の「いじめ」の定義は以下の通りです。(※~※)

※「いじめ」とは、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍してい る等、当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な 影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該 行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こ った場所は学校の内外を問わない。※

早く言えば、「同級生等で一方的に行われる物理的、および精神的な暴力行為」ということです。文科省のホームページには「いじめ」への対応マニュアルが掲載されており、このマニュアルに従って解決を図れば「みんな笑顔で万々歳」の結果となるはずです。

しかし現実には、このマニュアルは機能しておらず、日本各地で自殺者を出し続けています。自殺する生徒は、いじめ被害者の氷山の一角であるのは言うまでもなく、表面化しない「いじめ」は、日本全国の学校に蔓延していると言えるでしょう。事件が起きなければ、被害者の声は表面化することはなく、被害者自身の枠の中でこだまするだけです。

今回の事件も、被害者が自殺しなければ、「いじめ」の数にも入らず、学校は「いじめゼロ」だと胸を張っていたことでしょう。そして被害者は、壮絶な苦しみの中に閉じ込められることになります。

さてD様
今回の事件には、いくつもの疑問が浮かび上がっています。
まず、担任教諭は被害者のSOSをなぜ無視し続けたのか ー と いうことです。

学校や教師は、常に、いじめの発生を警戒しなければなりません。日本全国で悲惨ないじめ事件が続発している現状を鑑みれば、被害生徒のSOSに教師の機敏な対応が必要でした。また、文部科学省からは防止と対処のマニュアルが通達され、各学校は、いじめ対策の基本方針を策定していたはずです。そのマニュアルに従うべきでした。

しかし、この担任教諭は、被害生徒の訴えをいとも軽く受け流していました。被害生徒とやり取りしていた「生活記録ノート」に書かれた悲痛な声を真摯に受け止めることはなく、解決に動こうとしなかったのです。

この学校では年3回、いじめの実態を調査するアンケートが行われていたと言います。今年6月にも行われました。被害生徒はこのアンケートにもいじめを受けていることを記入しています。しかし、担任教諭はこの訴えにも無視を続け、学校側に報告することはありませんでした。

担任教諭のその対応は、事件以後、学校に格好の言い訳を与えることになりました。当初、学校は、「いじめがあるとの報告は受けていない」「いじめがあったかどうかは分からない」と、責任を回避する発言をしていました。最近になり、「いじめが自殺の一因となった」と認めはしましたが、「一因」という単語に責任逃れの姿勢が垣間見えています。この態度は、いじめ事件が起きた学校に共通するものです。

D様
平成25年に「いじめ防止対策推進法」が制定されました。文科省から各自治体の教育委員会、都道府県知事、各学校長などにその内容が通知されたのです。この法律には、前記した「いじめの定義」を前提とする防止対策が定められています。また国と各学校は「いじめ防止と対策に関する基本方針」を策定することが義務付けられています。

今回の岩手の中学校における年3回のアンケート調査は、この基本方針に則り実施されていたと思われます。いじめに対応する法律があり、それに従った基本方針が策定され、それが実行されていた・・・にも関わらず、なぜ今回の事件を防ぐことが出来なかったのか? なぜ、全国規模で同様の事件が起き続けるのか?

今回のいじめ自殺事件が防げなかったのは、担任よるいじめの握り潰しが原因だと言えるでしょう。被害生徒が「死んでいいですか」「もう市(死)ぬ場所はきまってるんですけどね」とまで書いているのに、この教諭は何の対応もしませんでした。信じがたい鈍感さ・・そして怠慢です。被害生徒と真剣に向き合い、せめてマニュアルに従った対応をしていれば、生徒の自殺は防げたはずです。


D様
私は思います。
担任教諭の最悪の対応は、この教諭の資質によるものなのだろうかと ー 。
それとも、いじめとの対峙を阻害する何かがあったのか・・・。

それは、文科省がいじめ根絶に取り組み、法律まで制定しているにも関わらず、いじめで自殺する児童生徒が後を絶たない ― という事実とリンクしています。つまり、法律やマニュアルが機能していない現実があるのです。学校には本気でいじめをなくす姿勢はなく、文科省がそれを許容しているとしか思えません。つまり、法律やマニュアルの策定は、社会に対するパフォーマンスでしかない ー と私は考えています。

今回の岩手の事件は、教諭の資質もさることながら、この「いじめ容認」のバックグラウンドが生み出したのだと言わせて頂きます。


D様
なぜ、そこまで言うのか・・とお思いでしょうか?
私は、78通目の手紙に「いじめ問題」を書いたことがあります。その中に下記の一節があるのですが、再掲させて頂きます。

D氏への手紙(78)より ※2011.1.13

「D様、私は思います。
子供たちは今、正義が正義として通らないことを教えられているのだと ー。
また、多勢に付かなければ損だということ、そして、その多勢のやり方には合わせなければならないこと、それに反すれば制裁されること ー を学んでいます。つまり、「いじめ」は教育現場において、「従順な羊」作りに貢献しています。「いじめ」は、その生きた教材となっているのです。

学校は、社会人の養成機関であり、子供たちはやがて社会へとスライドされて行きます。
養成機関では当然、今の社会に適合する人間作りが行なわれます。

統治者が理想とする社会人 ー それは、まさに「従順な羊」にほかなりません。
学校と地域、行政、司法までもが一体となり、被害者と対峙する ー その構図が形成されていく理由が見えて来るような気がします。そして、根絶されない理由もまた ー。」

D様
今、この日本において、公安Kを主軸とする組織犯罪が、全国規模で繰り広げられています。その態様は「いじめの構図」と相似しています。集団ストーカーと呼ばれるこの組織犯罪は、ひとりのターゲットを多数の加害者が取り囲み、あらゆる手口で追詰めていくのです。

少なくとも、40年前から始まっていると言われるこの犯罪は、その年月の中で巧妙化し、手口は多様性を増しています。常識では「まさか」と思われる悪らつな手口が用いられているのです。近年は電磁波照射などハイテク機器による加害も行われ、歯止めがないままに狂気の域に入っています。

この犯罪の協力者は社会の至るところにおり、宗教法人SG会はその中心的役割を担っています。尾行、住居侵入、害虫のばら撒き、悪評の流布、通行妨害、事故の誘発、車両等への危害、ペットの持ち去り・・重層的に襲ってくる加害行為の中で、被害者たちはもがき苦しんでいます。

インターネットに漏れ出た情報によると、ターゲットが自殺をすれば目的達成で、担当した公安Kの工作員達は褒章されるとか ー。真偽のほどは不明ですが、被害者からすれば、この狂気の犯罪においては充分にあり得る話です。この社会で、公安Kによる狂気の組織犯罪が行われている限り、「いじめ」がなくなることはないと私は考えています。

今回の岩手のいじめ事件が今後、どのような展開を見せるのか ― 注目して行きたいと思います。



D様
梅雨明けはまだのようです。
日々の気温の差にご留意くださいますよう。


                    2015.7.12    万瑠子

スポンサーサイト

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://marukorin08.blog137.fc2.com/tb.php/82-330dfd91
該当の記事は見つかりませんでした。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。