小説・集団ストーカー「D氏への手紙」(新設)

この日本で行われている信じがたい犯罪・・・その実態を書き続けます。(最新の記事はこちらを御訪問ください。)

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(93)大震災の日に ー。

D 様

久しぶりに手紙を書かせて頂きます。
私は今も、山形県Y市で暮らしています。原発の町から避難し3年半が経ちました。

山あいの小さな盆地 ― この城下町には原発の町とは違う空気が流れています。
昔日への郷愁と誇り、そして行き場のない気だるさが奇妙に混じり合っています。

人は、進化する社会の波動を感じつつも「新しさ」を警戒します。地域の歩調が優先され、互いの顔色を窺いながら歩を進めるのです。それはこの町に限ったことではなく、日本中のどこにでもある「不文律の掟」なのかも知れません。

それでも、長い歴史の中で培ってきた地域の文化は、それぞれの特性を持っています。ここY市は豊かな食文化が息づいています。秋の実りから、豪雪の冬に備えた保存食、春に芽吹く山の恵み・・・、豊富な農産物と畜産物は地域の人々の食卓を豊かにしています。

しかし、組織犯罪の網は、この地域も例外とはせず張り巡らせています。
この町に来てから起きたこと ー 今後、少しづつ綴っていこうと思います。
以前のペースでお届け出来ることを願うばかりです。


D様
私がかつて住んでいた富岡町は、今も居住が制限されています。昨年から比較的自由に立入りが出来るようになりましたが、放射線量はまだ高く長時間いることはできません。私が最後に家に戻ったのは昨秋で、もう1年前のことになりました。

私が暮らしていた家は、震災の日から時が止まっています。部屋の中は物が散乱し、周囲には割れた瓦が落ちたまま・・。ハンガーに吊るした洗濯物はそのまま色褪せています。隣地に建つアパートも瓦を散乱させたまま同じ佇まいを見せていました。あの陰気な住人達はどこへ行ったのでしょうか・・。

「こんな町、無くなってしまえばいい…。」
あの頃、私は何度そう思ったことでしょう。
私は組織犯罪の波の中でもがき続けていました。その汚れた波は、来る日も来る日も押し寄せ・・・・。
私は、自ら封じ込めた「不安」や「怒り」や「恐怖」の重みで沈みかけていました。

あの大震災の日も ー。
朝、目覚めた時・・私は、視界が遮られているのを感じました。左目の視界が半分ほどしかないのです。
私は目をこすってみました。・・・・状態は変わりません。何かが眼に貼りついているような感じでした。

私は洗面所に行き、鏡の前で瞳を見開いてみました。鏡面に顔をくっ付けるようにして、その異物を見つけようとしました。しかし、肉眼では確認できませんでした。

私は、洗面器に水を張り、その中でまばたきをしてみました。しかし、症状は同じでした。何度そうしても左眼に引っ付いている異物は取れないのです。その後、夫に見てもらったのですが「分からない」とのことで、医者に行くことを勧められました

視界を遮っているのは、大きな異物ではなく、ごく微小なものであることは確かです。
それが瞳の中心部分に貼りついたのでした。就寝中に・・・・。

当時私は、朝目覚めるたびに、体に何らかの異常を感じていました。それは、手の硬直だったり、足の関節の異様な痛みだったり、頭皮にトゲが刺さったような感覚だったり、眼の奥の痛みだったり・・・。

医者に行かなければ・・・。
そう思った時、「暗鬱」が私を襲いました。胸の動悸が速くなり・・・・私は再びベッドに横になりました。
天井を見上げれば、視線の先に漆黒の影がつきまといます。私は、怒りと恐怖の叫び声を必死で抑えました。

午後になり、私はふと温泉に行くことを思いつきました。
車で5~6分の距離にある町の施設で、低料金で利用できます。そこでゆっくりサウナにでも入れば、眼の異物は取れるかも知れない・・・そう思ったのです。

結局・・・何も変わりませんでした。
私は、浴場の鏡の前で眼を見開き、その異物の正体を見極めようとしました。しかし、それは瞳に溶け込んでしまったかのように姿を見せませんでした。

私は浴場を出て、憂うつ感の中で身支度と整えました。
「やっぱり病院に行かなければ・・・」 
そう思った時 ― 脱衣所が揺れました。

「地震・・?」
私はとっさに、洗面台のそばに身をかがめました。
強い地震だけどすぐ治まる ー そう思いました。

しかし、揺れはより激しさを増し、建物を倒さんばかりの勢いになりました。一緒に屈んでいた若い女性が悲鳴を上げました。私は洗面台の端にしがみ付き、激しい揺れに耐えていました。

「この建物は崩れるかも知れない・・・私は、ここで死んじゃうのかな・・」
そんな思いがよぎりました。それでも、頭の中は不思議なほど冷静でした。
それでもいい・・・と思ったのです。

揺れが治まるや、私は急いで外に出ました。道路に大きな亀裂が入っていました。
あたりの家々は屋根瓦が落ち、石塀が崩れ・・・・未曾有の地震でした。

D様
こんな町、無くなってしまえばいい・・震災前、私は何度もそう思いました。それはもちろん不可能を前提としたものでした。子供が母親に叱られ、「ママなんか、いない方がいい!」と悪態をつくような・・・そんな類のものです。それが思いもよらない形で実現したのでした。

震災の翌日 -。
私と夫は、隣村の避難所に向かいました。その時のことは、以前の手紙に書かせて頂きましたので、ここでは省くことにします。ただ、眼に貼りついた異物のその後は、書かなければなりません。

避難所の堅く冷たい床に座り、私は呆然としていました。回りには、不安げな表情を浮かべた住民たちが三々五々に寄り集っていました。そんな人々を見る私の視線の先には、相変わらず漆黒の影がつきまとっていました。私の頭の中に小さな苛立ちが芽生え・・・・それが次第に大きくなっていきました。

私はトイレに行き、手洗い場の水道でタオルを濡らしました。
トイレは不思議なほどすいていました。他に人はいませんでした。

何かが貼りついているのは確か・・・。
私は左眼を見開き、濡らしたタオルを瞳に当てました。そして、そのまま強くこすりました。
眼球の表面に痛みが走りました。

そんな荒療治が、眼に良くないのは分かっていました。
しかし、そうせざるを得ないほど私は苛立っていました。
私は、何度もそれを繰り返したのでした。

思った通り、その黒い異物は動きました。
それはアメーバーのように眼に貼りついていましした。それはこすられるたび千切れ、次第に視界から消えていきました。瞳から視界に影響のない部分に移動したのです。

破片はまだ残っていましたが、視界はほぼ元通りになりました。
あとは、落ち着いてから眼科に行けばいい・・・そう思いました。

D様
このY市に来てから、私は眼科に行きました。
担当した医師は、福島県北部のSR市で眼科を開いているとのことでした。週に1度ほどY市まで診療の手伝いに来るのです。

「眼に小さな異物が貼りついているので、取って頂きたいのですが。」
私は、医師に言いました。答は意外な者でした。
「何も付いていません。」
良く調べもしないで、そう断言するのです。

「でも、視界に小さな異物が見えています。」
「だから、何も付いてません!」

けんもホロロでした。異物とはどんなものか?  との、当然の質問もありません。
感じの悪い医者 ー 私は後味が悪い思いでその医院をあとにしたのでした。

その異物の破片は、今も私の視界から消えていません。
いずれ大きな病院で診てもらおうと思ってはいますが ー。
現在、私の目の異常は他にもあります。それは、いつか折を見て書こうと思います。


D様
このY市に来て3年半 ー。
私は現在、以前と同じ集合住宅に住んでいます。
敷地内に2棟の建物がありますが、いつの間にか、ほとんどが空き室になってしまいました。
ドア向かいの部屋は、老夫婦が確保したようでしたが、1度も住むことなく退去して行きました。

さて、一昨年の初夏・・・夕方のことです。
私の部屋のチャイムが鳴りました。ドアのレンズ越しに外を見ると、若い男性が立っていました。
男性はドア越しに「向かいの部屋に入居した者です」と名乗りました。
確かに家財が運び込まれたようでしたが、入居していたとは知りませんでした。

私はドアを開けました。すると、この男性は意外なことを言い出したのです。
D様、この続きを次回に書かせていただきます。


油蝉たちが遠くで鳴ています。
稲穂が微風に揺れているでしょう・・・・
静かな初秋の午後です。

では ー。

                     2014.9.10 万留子



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