(76)そして、裁判へ
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読者の皆さまへ
長い間、記事の更新が出来ないままに焦燥の日々を送っておりました。
ご心配をおかけ致しましたことをお詫び申し上げます。
以前のサイトの管理画面に入れない状態が3週間以上続いています
パスワードかアカウントが違っているのかと、Fc2へは、もう何度も問い合わせをしています。
そのうち、3度はメールを受け取った旨の自動送信がありましたが、返答が一向に届かないのです。(今日現在)
やむなく、本日、別のメールアドレスでこのサイトを立ち上げたしだいです。
以前のサイトの続きを掲載いたしました。
今後しばらく、このサイトを御訪問頂ければ幸いです。
以前同様の応援が頂けますならば嬉しく思います。
12月21日 ミセス・まるこ
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(76) そして、裁判へ
D 様
今日のこの地は快晴です。
柔らかな光の粒子があたりを包んでいます。
高く青い空・・・それは確かに、この地方の冬の空です。
その一角に、枯枝が幾何学模様を描いています。
庭の木々の影もまた、地面に不規則な模様を作り・・・。
穏やかな12月の午前 ー。
迫る年の瀬の喧騒はなく、
私はひとり居間にいて、コーヒーの柔らかな湯気を見つめています。
D様 ー。
執筆への妨害が続いています。
インターネットに繋がない状態で、ワードへ介入が行われています。
それが最近、エスカレートして来ました。
私は、以前から、「突然カーソルが飛ぶ現象」や「画面の激しい揺れ」などの被害を訴えています。現在はそれに加え、文字の大きさが頻繁に変わったり、突如、画面が分割されたり、漢字変換が出来なくなったり・・・あらゆる手口にエスカレートしているのです。
この犯罪の被害者は、パソコン操作時の被害を訴える方が多いのですが、
私の場合もその例外ではなく、あからさまな執筆妨害が行われています。
パソコンの遠隔操作の技術は確立されており、パソコンの持ち主と同様のキー操作が可能なのですから、この加害行為を「有り得ない」などというレベルの言葉で否定することは出来ません。
インターネットに繋がない状態でのこの妨害は、近隣のアジトから行われていると考えられます。
このパソコンを覗き、介入している卑劣漢が近くにいるということです。
この者たちの犯罪は、こればかりではありません。
あらゆる卑劣な行為を繰り返しているのです。
D様 ー。
私は、この日本社会の狭間で、このような犯罪者たちが生息していることに驚きを禁じ得ません。
この者たちを支配している論理は何なのでしょう?
なぜ、このような者が作られてしまったのか・・・?
オウム真理教にその例を見ることができます。
師と仰ぐ教祖に心酔し、人の道を踏み外したオウム信者たち・・・。
今、この日本にその精神構造と同じ者たちが、卑劣な犯罪を犯しているのです。
証拠に残らなければ何をしてもいい・・それがこの者たちの論理です。
狂気が支配しているのです。
D様 ー。
この者たちは、生涯このような狂った人生を脱することはないのでしょうか?
だとすれば、ただ哀れです。人として生まれ、人として生きられないのですから・・・。
さてD様 ー。
前回の続きを書きたいと思います。
留置場生活のなかで、気がかりだったこと・・・。
まず ー。
逮捕は、私にとって初めての経験でした。
当然、留置場生活も初めてだったわけですが、私は意外にもすぐ順応しました。
元々が割り切りの早い性格で、「当分はこの生活になるはず・・。」と覚悟を決めたのです。
それに、留置場は思ったより、居心地は悪くありませんでした。
留置課と同フロアにあるので、冷暖房が効いてますし、中は意外に清潔でした。
夜具類には、すべてに洗濯したてのカバーがしてありましたし、私は、枕が変わると眠れない ー という繊細な性格でもないので、熟睡できました。
また、衣類などの洗濯は、係官が1日置きにしてくれました。
朝に洗濯ネットに入れて出すと、午後にはふっくらと乾いたものが届けられるのです。
食事が口に合わなければ、出入り業者から出前を取ることも可能でしたし、日用品や嗜好品(パン・菓子類・飲み物)も品目に限りはありますが、購入することが出来ました。
そんなわけで、留置場での生活は、覚悟を決めれば「耐え難い」というものではないのでした。
・・が、私には気掛かりなことが一つありました。
それは、夫のことでした。
逮捕の翌々日 ー。
面会に来た弁護士から、私はその事実を知らされたのです。
夫の逮捕は私と同日 ー 容疑も同じ「再委託違反」でした。
ショックと共に、
理不尽な逮捕・・・そう思いました。
夫は、FK社の役員になっていましたが、常勤ではありません。
私の手に余る事態になった時に、助力をしていた ー と言う立場です。
この事件においても、HYの不祥事の後始末に奔走したに過ぎません。
それが、私と同じ「再委託違反」とは・・・
夫は、私とはずいぶん歳が離れています。
彼は若くは見えますが、社会的には高齢と言われる年齢になっていました。
私は、夫の健康が心配だったのです。
のちに知ったことですが、彼は逮捕に抗議してハンストをしたのでした。
水を口にする以外は、食事は一切摂らなかったのです。
係官たちが説得しても、食べ物を口にすることはなく、困った留置課は、病院で健康診断を受けさせました。
軽い糖尿の気があるだけで、健康は心配なかったのですが ー。
弁護士から、「体力を付けなければ、こちらの主張にも力が入らず、検察側の有利になるだけ」と説得され、5日目位から食事を摂り始めたのでした。
さてD様 ー。
検察が、夫を「再委託」で立証するには無理がありました。
私の場合ですら、それが県の強い要請により行われたのは明白なのですから、 「再委託違反」を立件しようとすれば、担当課のEN課長やIG部長が「共犯」となることは免れません。
私は、W刑事の取調べの時、
「私を逮捕したなら、担当課の職員たちも逮捕するべきです。早く逮捕して下さい。」と、
何度か言いましたが・・。
「いや・・それは、今やってるから。向こうにも日誌があるんで、何日に視察に行った・・・とか、調べてる。」 W刑事の歯切れは悪いのでした。
結論を言えば、結局、警察は県の職員たちを逮捕しませんでした。
「再委託は県からの強要」という明らかな事実を無視したのです。
警察は、F県の不利益になることを避けたのでしょう。
彼らとて、F県から給料を貰っているのですから・・・
D様 ー。
結論を言いますと、起訴されたのは夫だけでした。
私は、23日間の留置後に釈放となったのです。
何故、そんなねじれた結果となったのか?
夫は、自分が「再委託」のという罪に問われた理不尽さを、的確に主張出来なかったのだと思います。夫は「廃掃法」について詳しい知識はありませんでした。検察の巧妙な論理のすり替えを、論破できなかったのです。
私自身は、この事件における「廃掃法」の必要な部分は頭に入っていました。
私は、業務上の必要な資格を持っていましたし、会社の実務はすべて私が行っていたのですから、当然です。しかし、夫は私が行き詰った時の補佐的な役割でしかなく、「廃掃法」の詳細は知る由もはありません。
「再委託は行政側の強要 」ー そう主張する私に対し、検察は手を焼いていました。
検察は、私が最初に問いかけた質問 ー。
担当課職員を何故、逮捕しないのか?
一回目の搬出と二回目の搬出はどこが違うのか?
それに答えることが出来なかったのです。
FK社に再委託を強要したのは、県の担当課でした。それは、紛れもない事実です。
私が担当課に提出した様々な書面は、それを裏付けていました。
それを主張していれば、検察は行き詰ったはずでした。
県の担当課とFK社との力関係は、県が圧倒的に強いことは言うまでもありません。
許可権限を持つ行政に、業者が逆らえるはずはないのです。
それは、どんな業種においても同じだと思います。
「再委託」は県からの強要・・・それは否定できない事実でした。
さて、D様ー。
夫は、私の釈放を強く望んでいました。
私が夫を心配していたように、夫もまた私のことが気がかりだったのです。
夫は当然、容疑を強く否認をしていました。しかし、検察の巧妙な話術に、序々に取り込まれていきました。
夫は、私の様子を知りませんので、このままでは二人とも起訴になると踏んだようでした。
D様 ー。
検察は、行き詰っていたはずです。
しかし、そんなことはおくびにも出さず、夫には強気の姿勢を示していたのでした。
そんな中、夫はつい検察と取引してしまったのです。
自分が全部の容疑を認めるから、社長を釈放しろと ー。
検察は、小躍りして喜んだに違いありません。
検察にすれば「渡りに舟」です。
それは、その日で留置期限が切れるという日でした。
被疑者が逮捕された場合、合計で23日間の拘束が認められるようです。
検察はそれまでに、起訴か不起訴かを決めなければなりません。
その留置期限の日 ー。
夫は、私の釈放が決定したのを確認し、すべてを認めたのでした。
ST検事は、夫が留置されていたこの町のT警察署に、飛んで来たといいます。
そして、検察のストーリーに合った夫の供述調書が作られたのでした。
私は、夫がそんな調書に協力してしまったことは、今でも残念に思っています。
私は裁判に臨み、自分の主張をする覚悟をしていたのですから・・。
それでも、夫の心情を思えば責めることは出来ません。
夫は起訴されました・・・。
さてD様 ー。
検察は、裁判でどんな論理を展開したのか ー。
検察の冒頭陳述要旨のポイントは下記の通りです。
① 在庫は、「前の共同代表者(YM)が残していったもの」と、FK社が強弁 した。
そして、県の担当課がやむなくそれを認めた。
② 故に、担当課は他業者への委託を認めた。
③ FK社(夫)は、許可を持たないHYに、不法に収集運搬を委託した。
④ そして、HYに倉庫を探させ、運びきれない分をそこに保管した。
⑤ 更に、その後、倉庫を移動させるために、また、HYに収集運搬を不法に
委託した。
これら①~⑤は、事実の歪曲というほかはありません。
以下に反証したいと思います。
(今までに書いたものと重複する部分もありますので、簡略に記します。)
①と②について
搬出した在庫を、たとえ当社が「YMが残して行ったもの」と強弁したにしても、担当課はそれを一蹴すればいいのです。彼らはそれが、膨らんでいった当社の在庫であることは、百も承知していたのですから ー。
「当社がYMの在庫だと言い張ったから認めざるを得なかった」・・・。
この論理は、業者と担当課の力関係を逆転させています。
業者と行政の力関係において、業者側が主導権をとることはあり得ません。
私は、在庫は新しい焼却炉であれば、3日ほどで処分が可能であることを説明し、ぜひ、そうさせて欲しいと担当課に申し入れたのです。しかし、彼らはそれを頑として聞かず「再委託」を強要して来たのでした。
当時の私が書いていた業務日誌には、その経緯が克明に記されています。
警察は、それを押収して行ったのですから、「強要」の事実は証明されるはずでした。
更に、私がEN課長から尻を叩かれて書いた搬出の計画書などの書面も、それを裏付けていました。担当課は、法に適った行政指導をするべきだったのです。
③について
FK社が、HYに不法に収集運搬を委託したというのは荒唐無稽な主張です。
前記したとおり、HYは当社が臨時雇用した者ですから、HYが収集運搬の許可を得ている必要はありません。FK社がその許可を持っているのですから、あえて不法委託する理由はないのです。
④について
倉庫への保管は、HYが当社の金を他へ流用した為、仲間に協力させて行ったことです。
それはHYも認めています。夫の関わりは、倉庫を移動した時からで、それは、HYの不祥事を解決する奔走したに過ぎません。あえて、夫に罪を問うとすればこの部分ですが、悪質な罪を犯したと言えるのでしょうか。
⑤について
当社からの搬出が、YMへの不法委託だとするなら、この倉庫から倉庫への移動が、当社からの不法委託だと主張することは出来ません。
つまり、廃掃法において「委託」をするということは、廃棄物が委託を受けた側の管理になるということです。一度委託した廃棄物を、同じ排出側が再度委託をするなどという論理は、成り立たないのです。
会社からの搬出時に、「HYに委託した」とされた廃棄物が、倉庫に保管してあったからと言って、再度、会社が「HYに委託した」ということは法的に主張することは出来ません。
私は、これらの矛盾を指摘した陳述書を書きました。
そして、弁護士を通し、裁判に提出しようとしました。
しかし、証拠の提出には検事の同意が必要とのことでで、それが得られず、採用されることはありませんでした。また、私が法廷で証人となる申請も裁判官から撥ね付けられたのでした。
この日本における刑事裁判の有罪率は98パーセントとか・・・。
裁判が、事実を正しく判定しているとは到底思えない高率です。
夫の裁判もまた、検察の主張を認めるセレモニーでしかありませんでした。
弁護士は、夫の知人の紹介で依頼したのでしたが、検事を定年まで務めた後、事務所を開いた人で、被告人側の主張を的確に捉え、法廷で主張していくというすべは身に着けていませんでした。
結局、夫は「有罪」の判決ー。
執行猶予が付いたとはいえ、私は、やり切れない思いでした。
ある地元紙は、悪意ある見出しで夫の有罪を報じました。
その紙名をもじって「F官報」と呼ばれているこの新聞は、検察が主張していないことまで記事にしているのでした。つまり、倉庫への不法保管については、夫は罪に問われることはなかったのですが、それをこの新聞は、関与したごとくの記事を載せたのです。
私は、控訴を考え、仙台市の弁護士に相談をしましたが・・・、
「有罪といっても、現実的に刑が執行されるわけではなく、これで良しとした方が利口ですよ。」と言うのでした。
夫自身も、一度の裁判でもう気力は使い果たしたようで、無力感に捉われていました。
私は、納得せざるを得ませんでした。
結局、FK社の業務許可は取り消されました。
事件に頬かぶりを通した担当課は、臆面もなくその通知を送って来たのです。
夫が、会社に注ぎ込んできた何千万円もの資金は、露と消えたのでした。
D様ー。
今、私は思います。
あの事件は何だったのだろうかと・・。
私の会社は、そんなに悪質なことをしたのでしょうか?
かつて従業員たちが、煙に神経を使い、走り回った工場は今はありません。
焼却炉の設計図に目を輝かせ、設置の場所を何度も確認していた夫・・・
その姿は、工場内に戻された大量の廃棄物を前に、呆然と立ち尽くす姿に重なります。
事件後、彼は一挙に老け込みました。
D様 ー。
私は、この事件について、まだ書き尽くしてはいません。
でも、取り合えずこのテーマでの筆を置きたいと思います。
今後、書く機会があれば幸いです。
2010年も終わろうとしています。
今年は、あと1回ほどお手紙を書きたいと思っています。
エスカレートする妨害の中でも、私は執筆を止めることはありません。
次回は、6年前のある出来事を書こうと思います。
それは、新潟大震地震があったの日でした・・・。
寒い日が続いています。
御自愛下さいますますよう ー。
2010.12.19
万 留 子