小説・集団ストーカー「D氏への手紙」(新設)

この日本で行われている信じがたい犯罪・・・その実態を書き続けます。(最新の記事はこちらを御訪問ください。)

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(88) 布団と自転車、そして竿竹屋 

D 様



この夏 ー 酷暑は、この小さな城下町にも及んでいました。
米沢市は、かつて日本一の暑さを記録したところとか ー 。

酷寒の冬と炎熱の夏は、この地に多様な文化を育くませて来たようです。
その奥深さを、私は、この町に流れる空気の中に感じています。
原発の町にはなかった昔日の香り・・・それは私を安らがせてくれます。
山間の盆地に甍を寄せ合うこの愛おしい町 ー 。

しかし・・・。
この清涼な空気の中に微かに混じる腐敗臭 ー 私は、日々それを感しています。
この町の純朴に生きる人々の間にも、陰湿な網は張られているのです。
公安Kを中心とする組織犯罪者たちは、隠花植物のごとくこの地にも生息しています。
日本全国に例外なく ー それは分かっていたことですが・・・。



D様 ー 。
この地に来て4ヶ月半 ー 7月が終わろうとしています。
私は今、部屋の北側の窓から外を眺めながら、3月11日以来の日々を振り返っています。
2階の窓から見えるのは、この公団アパートの別棟のベランダ・・・。
この真ん前のベランダの柵に掛けられていた布団が、最近ようやく片付けられました。

布団が片付けられた・・・D様、何のことがとお思いでしょうね?

真ん中が破れたボロボロの布団 ー それは夜も昼も、照る日も降る日も・・・部屋の中に取り込まれることはなかったのです。そして、布団の周りにはゴミ袋の山・・・。
それはこの古い公団アパートを、いっそう陰気で惨めな外観にしていました。

「夜逃げでもしたのだろうか・・・?」

当初、私はそう思いました。
部屋の裏窓から見えるこの光景を、私は暗うつな思いで眺めていたのです。

「それにしても、管理人はなぜ片付けないのだろう?」

この公団アパートの入り口に管理事務所があります。
私は、所用でそこを訪れた時に、管理人に訊いてみました。ここに入居して間もない頃でした。

管理人は、60歳ほどと思われる男性 ー 。
「あの掛けっぱなしの布団ですけど・・片付けて頂けないでしょうか?」

すると、この管理人の口から出た言葉は、私を驚かせました。
「人の家のことですからねぇ。あの奥さんも小さな子供がいて、大変なんですよ。」

奥さん・・・? 子供がいる・・・?

空き部屋ではなかったのでした。
しかも、子供がいる家族が住んでいたとは ー 。

「人が住んでいたんですか? それなら管理人さんの方から、片付けるようにと注意して頂けませんか?」
「まぁ、一応、言ってみますけどね。」

数日後 ー。
私はまた、その管理人と顔を合わせました。
「やっぱり、聞いてもらえませんでした。」
管理人はそう言うのでした。

聞いてもらうも何も・・・管理人の立場としては、是非とも片付けさせなければならないでしょうに ー。

それにしても、どんなに多忙だとしても、布団を取り込むくらいは数分とかからないはずです。

どんな人が住んでいるのだろう?

雇用促進事業団が運営するこの2棟のアパートは、合わせて64世帯が入れる規模です。建てられてから、かなりの年数が経っていて老朽化が激しく、それまでの入居者が退居し次第、取り壊す予定だったようです。それが今回の震災で急遽、被災者に割り当てられたのでした。
以前からの入居者は、部屋数の1割程度だと思います。このボロ布団の持ち主は、その1割の中に含まれていました。
 
D様 ー。
私と夫が、このアパートに入居したのは4月2日のことです。
それまでは、米沢市に隣接するTH町の民間アパートにいました。

3月末になり、米沢市がこの公団アパートに入居する被災者を募りましたので、私たちはそれに応募をし、4月1日に入居が決まったのです。そして翌日、TH町から引越したのでした。(私たちの荷物は、「引越し」という表現が憚れるほど少ないものでしたが・・・。)

雇用促進事業団が運営するアパートは米沢市内に2ヶ所あります。
現在、私たちが住むこのKB地区と、市の北部に位置するHP地区です。

応募したほとんどの被災者はHP地区に割り当てられました。
このKB地区のアパートに割り当てられたのは10家族もなかったと思います。

両地区ともほとんどが空き部屋、そして建物の規模はどちらも同じくらいなはずなのに
・・・何故、こんな偏った割りふりをしたのか?

のちに聞いた話では、子供がいる世帯は学校が近いので、HP地区に割り当てたとのことです。しかし、このKB地区のアパートの近くにも小学校はありますし、近隣の子供たちは毎朝、集団で登校して行きます。

現在、このアパートには、7~8世帯の被災者が住んでいるはずです。駐車場の車のナンバーから推測した数字ですが、どの部屋が被災者なのか、どの町から来ているのか・・分かりません。情報が全くないのです。
ですから被災者同士の交流はない状態です。

私は、時折、訪ねて来てくれるボランティアの青年に訊いてみました。
この2棟のアパートには、被災者はどれくらいいるのかと ー 。

「10人位はいると思いますが・・・実は、僕たちもよく分からないんです。こうしてドアを開けてくれるお宅はいいんですが、留守だったり、居ても応答がない部屋もありますしね。個人情報の保護とかで、市に聞いても教えてくれないんです。民間アパートにもかなりいるはずなんですけど、そういう方は、僕らもほとんど把握していません。」


4月1日 ー 。
割り当てられた部屋を見に来た私たちは、駐車場で南相馬市から避難したという親娘の方と言葉を交わしました。70歳前後の老婦人と30代半ばと思われる娘さんでした。
彼女たちもまた、自分たちに割り当てられた部屋を見に来ていたのです。

「ひどい所で驚きました・・・辞退しようかと思ってます。」
老婦人の方が疲れきった様子でそう言うのでした。

確かに、古いアパートですが、私は部屋を見てどうにか住めると判断していました。徹底した掃除はしなければならないけど、それは仕方がないと思ったのです。

私は、彼女たちの部屋を見せてもらいました。
そして、唖然としたのでした。

部屋に入るなりカビの匂い・・・見ると洗面所や浴室は黒いカビだらけです。
畳はブヨブヨ、ふすまや押入れの戸はボロボロになってベランダに置いてありました。

「これは、ひど過ぎますね。」
「辞退しろと言わんばかりですよね。」
娘さんは憤慨して言うのでした。
「お向かい棟に割り当てられた女性の方も、辞退すると言ってましたよ。」

それでなくても、このKB地区に割り当てられた人は少ないのに・・・。

その後、このアパートで親娘の姿を見ることはありませんでした。
そして、未だに、私たちはこのアパートの被災者との交流がないのです。

この組織犯罪において、ターゲットを孤立させることは、よく行なわれる手口です。


さて、D様 ー 。
ベランダの布団の話に戻りたいと思います。

このアパートに入居以来、窓を開ければ否応なく目に入って来た異様な光景・・・
それは、突然片付けられたのでした。 半月ほと前のことです。

私がいつものように自室の窓を開け、ふと、向かいのベランダをみると・・
布団がなかったのです。

「布団が片付けられた?!」
それは、私が願っていたことなのですが・・・。
私は、数日前の出来事を思い出しました。

その日の夕刻 ー 。
土砂降りの雨でした。
私は、買い物に出かけるため、小走りに駐車場の車に乗り込みました。
エンジンをかけようとした時に、私はふと、ベランダの布団に視線を這わせました。
雨粒が伝う車のフロントガラスの向こうに、布団がぐっしょりと濡れているのが見えたのです。

ボロボロの布団が雨に打たれている・・・それは、専業主婦がいる家庭では有り得ない光景でした。

私は、思い立ち ー,
携帯を取り出して、その光景を写真に撮りました。
フロントガラス越しに撮った写真は、薄ぼんやりとしていましたが、
車のガラスに付着した水滴が雨の激しさを捉え、光景の異様さを写していました。
私はその時、少しアングルを変え、3枚の写真を撮ったのでした。

私は、何らかの形で、公の観点からの意見を得たいと考えたのです。
この組織犯罪において、不快なものをターゲットの目につくところに置くのは、加害者がよくやる手口です。

例えば ー 。
以前、私は、隣家の裏庭に倒れていた「赤い自転車」のことを書きました。
その子供用の自転車は、私が洗濯物を干す場所からすぐのところに放置され、3日以上も呼び鈴の電子音を鳴らし続けていたのです。電子音が鳴り止んだ後も、数ヶ月間、その自転車が片付けられることはありませんでした。

陰気な電子音を鳴らし続ける赤い自転車、・・・その光景は、私を憂うつ感で包んだのでした。

赤い自転車・・・。

D様 ー。
私は今、それを毎日、このアパートで目にしています。

ここに入居して数週間が経った頃 ー 。
買い物から戻った私は、草むらに自転車が倒れているのに気が付きました。いつも通る入り口の近くです。

赤い自転車でした・・・。
そこは自転車を置くような場所ではなく、誰かが放置したに違いありません。

私は、管理事務所に行き、「そこに自転車が倒れてますけど・・・。」と教えてあげました。
「ああ・・・あれは、誰のだか分からないので片付けられないんです。」

片付けられない・・・また、その返答でした。

それにしても、倒れたままにしておくとは・・・。
私は、その自転車を起こし、建物に寄せ掛けておきました。
それは、4ケ月経った今もそのままです。


D様 ー。
この組織犯罪に「アンカリング」と言われる手口があります。他人が見れば何でもないことですが、ターゲットだけがその意味に気付くのです。「お前のことをいつも見ている。何でも知っているぞ。」というわけです。
ターゲットを不快や不安な感情に陥れるのです。
ターゲットが誰かにそれを言ったとしても、「おかしな人」との印象を持たれるだけです。

D様、私は、この「赤い自転車」がアンカリングなのだと断定するつもりはありません。偶然なのでしょう。ただ、持ち主不明の自転車を、管理人がなぜ放置したままでいるのか疑問なのです。いずれにしろ、私がこのことでナーバスになることはもうありませんが ー。


また ー。
先日私は、この町の「book off」で何冊かの中古本を購入しました。
(「book off」がS会系であることは知っていますが、他に中古書店がないので、時々、利用しています。S会系の企業は、驚くほど多いので、頑なに利用しないということは出来ません。なるべく利用しないというスタンスでいいと思います。)

購入した本の中に「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」という新書本がありました。
かつてのベストセラーですが、これが105円で売られていましたので、ついでと言っては著者に失礼ですが、一緒に購入したのです。

購入後、この本はしばらく、店の黄色い包装袋に入れたままでした。
その表紙を開いたのは、買ってから2週間後くらいだったと思います。

私は、その本をバックに入れ、ぶらりと町に出かけました。
そして、ミスタードーナッツの店内でコーヒーを飲みながら、ページを捲ったのです。
会計学を身近な例をもってレクチャーする面白い本でした。

さて ー。
その日の夕方のことです。
私が夕食の支度に取り掛かろうとした、その時・・。

「サオヤァ~ サオダケ~ 」

さおだけを行商する車の音が、通りの方から聞こえて来たのでした・・・。
物売りのスピーカー音など、このアパートに来て初めてのことです。

車のスピーカーは、その文句を繰り返し流しながら去って行きました。

D様 ー。
これも「偶然」なのでしょうか?


さて、ボロ布団の話に戻ります。
写真を撮った数日後、私は、この布団の件をあなたへの手紙に書き始めました。
手紙の冒頭部分を書き・・私はふと携帯の写真を見ようとしました。
土砂ぶりの雨の日に撮った3枚の写真・・・しかし、それはどこにもありませんでした。

写真は、携帯電話から消えていたのです。
そして、まもなく片付けられた布団・・・。


D様 ー 。
私たちがこの地に来て、4ヶ月半になります。
その間に私が体験したことを言葉にすれば、人は苦笑しつつ、私の精神状態を疑うことでしょう。

でも、あなたは「君は疲れているんだよ。」などという浅慮なことは言われないはずです。

巧妙にターゲットを追い詰めていくこの犯罪は、訴えた者を精神異常者として隠ぺいされていきます。その事実は、第三者の「まさか」「有り得ない」「穿ちすぎ」・・・等の言葉で覆われてしまうのか通例です。

でも、私は、今後とも、あなたへの手紙にそれを書き続けていくつもりです。私が書く原動力は、卑劣な者への「怒り」であり、この公安Kへの疑念を、わずかでも感じて頂ければそれでいいと考えています。



さて ー 。
私と夫は2日間だけですが、避難所生活をしました。
富岡町に隣接するKY村でした。次回はその時の体験を書きたいと思います。




今日のこの地は曇り空の下、涼やかな風が吹いています。
そちらの気候はいかがでしょうか?
D様がつつがなくお過ごしでおられますよう ー 。



                            2011.7.31
                                  万 留 子











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(87) 米沢市から

D 様



震災から4ヶ月が経ちました。
私は今、米沢市であなたへの手紙を書いています。

震災以後の生活環境の変化は、私を戸惑せ続けました。
焦燥の中で日々が過ぎて行き、私はあなたへの手紙を書く気力すら失っていたのです。

この米沢市に来たのは3月半ば ー 四方の山々も田畑も真っ白で、道路沿いには灰色に汚れた雪が残っていました。雪がほとんど降らない地域から来た私は、タイムスリップをしたかのような感覚にとらわれたものです。
そして、寒く、何もない生活が始まりました。

慣れない土地、気候、人々・・・しかし、私は一方で、安堵感に包まれていたのです。
あの陰湿で、閉鎖的な原発の町からの脱出は、私がいつも願っていたことでした。
それが、こんな形で現実のものになるとは ー 。

今、この小さな城下町は深緑に包まれています。
この町は、今まで住んでいた富岡町より、ずっと住みやすい町です。
原発一色に染まった町と、古い歴史の町・・・漂う空気も、人々の雰囲気も違います。
何もなければ、私はこの町が好きになったことでしょう。

何もなければ・・・。

D様 ー。
私は、今、集ストと言われる組織犯罪のネットワークが、全国に及んでいることを実感しています。それは、避難生活の間もなくから思い知らされました。

3月11日から今に至るまでの出来事・・・私には書くべきことは沢山あります。
それを、今後 貴方への手紙に書いていこうと思います。

古く狭い公団アパートは、落ち着ける場所もプライベートな空間もありません。でも、書き続けていくつもりです。
どうか、お読み下さいますよう ー。



D様は、お変わりありませんでしょうか?
酷暑が続いています。御自愛下さい。

                           2011.7.8
                              万 留 子



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