小説・集団ストーカー「D氏への手紙」(新設)

この日本で行われている信じがたい犯罪・・・その実態を書き続けます。(最新の記事はこちらを御訪問ください。)

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(80) 「患者虐待事件」に思うこと

D 様



庭に雪が下りてきました。
この地の空を覆う雲が、ひっそりと落としているのです。
雲は、この町から陽射しと影を奪い、景色をくすませました。

道を行く人は、身を縮め、急ぎ足で通り過ぎて行きます。
吐く息の白さも残さず・・・。

雪は積もるのだろうか?
私は、ひとり空を見上げ、明日の雪景色を思い描いています。
春が歩みを止めたことを感じながら・・・。




さて、D様 ー。
11年前の晩秋ことです。
私は車で、父が入院しているF市内の病院に向かっていました。

その日、私は、所用のため2週間ぶりF市に来ていたのです。
用事を済ませたのは、午後7時を回っていました。

私は、父が入院して以来、あまり病院に足を運ぶことが出来ませんでした。
仕事に追われていたことと、F市は、私が居住していたFT町から長距離であったことなどが理由です。
しかし、「そんなことは言い訳にならない」・・との言葉が、常に私の脳裏から離れず、心苦しさがありました。

病院の面会時間は、とっくに過ぎていましたが、私は、顔だけでも見て行こうと思いました。
父は個室にいましたので、他の患者さんの迷惑を考慮する必要はありませんでした。

日はとうに暮れ、国道4号線をライトを点けた車が行きかっていました・・・。


D様 ー。
父の病気は、胆管に出来た悪性腫瘍・・癌 でした。
病気が発覚して以来、7~8ヶ月の間、父は入退院を繰り返していました。

しかし、入院の数を重ねるたび、父の体力は衰えていき、当時はほぼ寝たきりの状態になっていました。
それでも、母が付き添っている日中は、ベッドに起き上がり話をすることもあったようです。痛み止めの麻酔薬を点滴することが多く、頭が朦朧としがちだったのですが、時々、本来の父に戻るようでした。

夕方、母が帰った後は、看護師さんに任せることになります。
完全看護ということで、看護師が時間ごとに世話してくれるのです。


父の顔を見るのは、2週間ぶりでした。

私は、駐車場に車を停め、夜間用の出入り口から病院に入りました。
エレベーターホールには誰もいず、私はひとり上の階へのボタンを押しました。

「もう、寝てるだろうな・・・。」
エレベーターを降り、歩きながら見た看護師の詰所には、人の姿は見えませんでした。

私は、父の病室のスライドドアを開けました。
ベッドで寝ている父の姿が見えました。眠っているようです・・。

私は、静かにベッドに近づきました。
そして、父の姿を見て・・・
私は、愕然としました。

父の四肢が、ベッドに縛り付けられていたのです。
父は「大」の字で仰向けになり、手と脚はベッドの鉄枠に固定されていました。

私は全身から血の気が引きました。
何ということを・・・。
私はすぐ、その拘束具を外しにかかりました。

その拘束具は、大きなマジックテープで留められていました。
本人が外そうと思っても不可能です。

夢中で拘束具を外し終え、私は、父の体を動かしてあげようとしました。
しかし・・動きません。
私は、掛け布団を剥ぎました。そして、さらに愕然としたのでした。

父の体は、胴部分も固定されていたのです。
それは、女性のコルセットのように必要以上に締められていました。
それは痩せた父の体を締め付け、ウエストのくびれを作っていました。

高まる動悸の中・・・私は、その拘束具も外そうとしました。
しかし、そこには鍵が掛けられていたのでした。

私は、ベッドの枕元にあるナースコールを押しました。

毎晩、こんな状態にされていたのだろうか・・・。
私は、全身が熱くなるのを感じました。

私は父の枕元に行き、声を掛けました。
「お父さん。大丈夫? 今、看護師さんが来るからね。」

その言葉を聞いた父の反応は、さらに私を驚かせました。
私がそう言ったとたん、父の体に緊張が走ったのです。
そして、「はい!」と言うのです。目をつぶったまま、緊張を含んだ声で ー。

朦朧とした意識の中で、父は私の言葉をどう聞いたのでしょう・・・。
言葉の意味は、とっさに理解出来なかったのだと思います。
女の人の声・・つまり看護師です。父は、看護師が来たと思い緊張したのです。

看護師は、父にどんな言動をとり、そして何をしていたのか・・・?


D様 ー。
父について、少し書こうと思います。

父は、大正12年に生まれました。
父親は、小学校の校長をしていました。また資産家でしたので、父は何不自由なく育ったのでした。
新学年が始まると、父は必ず級長のバッジを付けて帰って来たと言います。当時、級長は、担任の教師が選んでいたようです。親の七光りもあったのでしょうが、父は成績も優秀でした。

ずいぶん前のことですが、家に父の小学校時代の通信簿が残っていて、私はそれを見たことがありました。
10段階評価で、10が最高なのですが、父は9が少しあるだけで、ほとんどが10でした。

素行面は、甲乙丙の評価で甲乙が半々くらい・・担任の添え書きから窺えるのは、父は腕白だったようです。
それでも父は、級友たちからは慕われ、常に輪の中心にいた少年でした。

その後、父は旧制中学へと進みました。
私の実家には、父の旧制中学時代の写真がたくさん残っています。

一緒に写っているのは、ほとんどが同じ顔ぶれです。7、8人位が仲間だったのでしょう。
まじめな顔をしているのもあれば、屈託のない笑顔、おどけて妙なポーズをとったものも・・・スキーをしている写真もありました。当時、スキーが出来るのは限られた人たちだったと言います。

また、伯母の話では、学生服にマントをひるがえし、我が物顔に町を歩いていたとか ー。
確かに、マントを着ている写真もありました。

写真の父は若く、生き生きとしていました。そこには、まぎれもなく父の青春時代が写っていました。
どの顔もみな、前途洋々の裕福な家の息子たちです。

しかし、時代は戦争前夜 ー。
太平洋戦争を境にして、父は多難な人生を歩むことになるのですが、それは機会を見て書くことにします。


さて、D様 ー。
看護師からみれば、ベッドに寝ているのは「病人」でしかありません。
その人が、それまでにどんな人生を歩み、どんな内面を持っているのか・・・そんなことは、考えもしないはずです。
ベッドにいるのは、自分が世話をしなければならない病人・・・それが仕事なのですから、当然のことです。

しかし、やせ細り、意識が朦朧としている患者の四肢を、ベッドに縛り付けることが、看護と言えるのでしょうか・・・。
父は、まさに身動きひとつ出来ない状態で寝かされていたのです。
そして、「ハイ!」などと、父の性格からして考えられない言葉を・・・。


ナースコールのボタンを押しても、看護師はなかなか来ませんでした。
私は再度、長めに押しました。

やがて、若い看護師の女性がやって来ました。
看護師は病室にいる私を見て、一瞬、目を泳がせました。
動揺したのでしょう。

「これ外して下さい。」
私は、感情を抑えて言いました。

鍵は、天井から吊り下がっていた医療器具用のフックに掛けてあったのでした。
「点滴とかチューブが外れますから・・。」
看護師は、拘束具の鍵を回しながら、言い訳を呟くのでした。

点滴とかチューブ・・?
それなら、腕だけを最小限度に固定すればいいこと ー。

当時、父の体力は極限まで減退し、やせ細っていました。
父は上背があり、太目だったのですが、見る影もなくなっていました。
動きも緩慢で、点滴とかチューブが外れるほど動くとは考えられません。

患者虐待 ー 私が見た父の状態は、その言葉で形容するしかないものでした。

私の中に、看護師を非難する言葉が渦巻いていました。
それは怒りの熱を帯び、口から出ようとしていました。

しかし・・・。
口に出たのは、意外なほど冷静な言葉でした。

「点滴が外れると言うのでしたら、腕だけをゆるく固定して下さい。この状態は父に苦痛を与えると思います。今後は、そうのようにして下さい。お願いします。」


D様 ー。
私の、看護師を殴りつけたいほどの怒りを抑えたもの・・それは「報復」への懸念です。
私は、毎日病院に来れるわけではありません。いくら頑張っても週に1度でしょう。
母も高齢で、日中に付き添うだけで精一杯でした。

私に何が出来るでしょう・・・?
結局、看護師に頼るしかないのです。


以前、病院を訪れた時、母が ー 、
「看護婦さんが、台拭きに使っていた『おしぼり』で、お父さんの口を拭いていたんだよ。
 ビックリして止めたら、何も言わないで出て行っちゃった。あの看護婦さんは、いつも扱いが乱暴で・・、
 口の利き方も失礼なのよぉ。」・・と言っていたことがありました。

その後、母は、病院に備え付けてある意見や要望を書く用紙に、事情を書いて改善を求めたと言います。
しかし、その後、看護師の態度は、より素っ気なくなったのでした・・。

「書かなきゃよかったのかねぇ・・。」
母は困惑していました。


D様 ー。
私がすんでのところで、看護師への怒りの言葉を呑み込んだのは、そのことが頭をよぎったからでした。
看護師との感情的な対立は、患者側にマイナス効果をもたらします。
家族は、結局、看護師に介護を委ねるしかないのですから ー。

機嫌を損ねたら、陰湿な報復を受けかねない・・・私は、咄嗟にそう思ったのでした。

陰湿な報復 ー 父はすでに、それを受けていたのではないのか・・?


D様 ー。
看護師の多くは、忠実にその職務を果たしているはずです。
強いストレスの中、自分を励まし、職務を続けておられる看護師の例を私は知っています。
しかし残念ながら、すべての看護師がそうではありません。

看護師による「患者虐待事件」を少し挙げて見ます。

2009年3月 ー。
兵庫県S病院の看護師が、傷害罪の容疑で逮捕されました。
この看護師は、入院中の高齢患者に暴行を加え、ろっ骨を骨折させていたのです。
被害者は6人にも及び、社会に衝撃を与えました。

2010年3月 ー 、
K大付属病院において、94歳の女性患者がインスリンを大量に投与され、意識不明に陥る事件がありました。
犯人は同病院の看護師で、殺人未遂罪で逮捕されました。 

犯人が逮捕される前、この事件の院内調査に加わった病院関係者は、
「誰かが患者を殺そうとしている ー と思った。致死量を超えていたその数値から、殺意のようなものを感じ、背筋が寒くなった」と語っています。

犯人の看護師は、「逃れられないストレスから犯行を起こした」と供述したようですが、
京都地検は「容疑者の心的側面に起因している疑いがある」として鑑定留置を請求したのでした。

いずれにせよ、これも衝撃的な事件でした。


更に、2007年6月には ー。
看護師が、入院患者の生爪を剥がした事件がありました。
事件があったのは北九州市のY病院で、判明した被害者は4人でした。

この事件は、1審は有罪判決でしたが、2審で逆転無罪となりました。          
同病院の同僚看護婦の告発で発覚し、病院もそれを認め、目を覆う証拠写真もあったにも関わらず、
1審の有罪判決が翻されたのでした。

事件が発覚した当初、病院長は「虐待といわれても抗弁しようがない」とコメントしています。   
また「北九州市尊厳擁護専門委員会」も「虐待」と判断しました。
更に、事件を取材したある記者は「県警、病院双方とも『つめはぎ』『虐待』との認識だった。」と述べています。

1審では、「患者に配慮せず、楽しみとして切った」と認定され、懲役6ヵ月(執行猶予猶予3年)の判決が下されたました。しかし、被告の看護師は控訴しました。

被告側は、「高齢者の爪のケア(介護)の実態を知らない人たちが暴走し、『つめはぎ事件』が作られた」と言うのでした。そして、「疾患がある爪を切っただけで虐待ではない」と主張しました。

結局、2審ではこの言い分が認められたのです。                        
釈然としないものが残った判決でした。

医療の専門家である病院長が、その利害を離れ「虐待と言われても抗弁しようがない。」とまで言っているのです。
また、「北九州市尊厳擁護委員会」の判断も虐待 ー。
これらは、医療の実態を知らない人たちの判断ではありません。

1審判決は、なぜ翻ったのか?

この事件について、
「日本看護協会」が見解を出しましたが、それが影響したのでしょうか?       
看護協会は、「当該看護師の行為は、虐待ではなく、自らの看護実践から得た経験知に基づく看護である」との見解を示したのでした。つまり、これは正当な医療行為だったと ー。

そして、被告看護師を擁護する声が高まり始めました。 マスコミの報道もその流れに乗っていきました。                     

しかし、それなら、「正当な医療行為」がなぜ、事件となってしまったのでしょうか?
そこには、事件にせざるを得ない「虐待の事実」があったからではないのか・・?         

そして、それは素人による判断ではなかったはずです。
私はこの事件は、上記2件の犯罪と違い、腑に落ちなものを感じています。



さて、D様 ー。
集団ストーカーと言われる組織犯罪ですが ー、
この日本の隅々にまでネットワークを張り巡らしているの確かなことと言えます。

それは、多くの被害者の告発により、事実として浮かび上がっています。
協力する行政・企業・団体・個人は、相当な数に上ると推測されています。

もちろん、医療関係者にもいるはずです。                      
医師にも、看護師にも・・・。

協力者にはどんな利益がもたらされているのでしょう・・。              
金銭的な報酬か、何かの特権か ー?

いずれにせよ、協力者の「良心」は麻痺しているだろうし、それは止め処なくエスカレートしていくものです。
また、協力者が何かの窮地に陥れば、それを救うメカニズムが働く場合があると思います。
ターゲットを追い詰めるためのシンジケートを、犯罪の隠ぺいに使うことは簡単です。
もちろん、協力者が見捨てられることもあるでしょうか・・・。

D様 ー。                                    
表出した患者虐待事件は、氷山の一角であろうとの懸念が、私の脳裏をよぎっています。     
父の場合も、氷山の海に埋もれた部分の「虐待事件」 ー そう言えるはずなのですから・・。                                                                            


D様、手紙の前半がつい長くなってしまいました。
前回の続きは、次回に書かせて頂くことをお許しください。

厳寒の日々は、まだ続くようです。
体調に御留意下さいますよう ー 。



2010.1.27
万 瑠 子
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(79) 限界の中で思ったこと

D 様




乾いた空気がこの地に流れています。
風は金宝樹の葉を揺らし、陽光がそれを銀色に煌かせています。

風はまだ冷たく、手や頬を凍えさすけれど、
遠い宇宙からの光は、確かにこの地に届いているのです。

少しづつ少しづつ、日は長くなり、厳寒の冬が溶けていきます。
それは、地面の下の種子たちを喜ばせ・・・、
春へ準備を急がせているに違いありません。




さて、D様 ー。
最近、インターネット上で不可解な現象がありましたので、
まず、そのことを書きたいと思います。

昨年暮れ、私はブロ友のRMさんから、あるコメントを頂きました。
彼女とは、もう何度もコメントのやり取りをしていますが、その時の内容は、メールフォームについての問い合わせでした。

その連絡を受ける前、私はRMさんのブログにコメントを書かせて頂いたのですが、そこに手紙のマークが付いていたというのです。そのマークをクリックするとメールフォームが現われて来ます。

RMさんは、私からのコメントに初めてそのマークが付いていたので、クリックをしてみたのでした。
するとアドレスが文字化けしたような変なフォームが出て来たと言うのです。
彼女は不審に思い、私へ確認のコメントをくれたのでした。

私は、驚きました。
私はそれまで、コメントを書く際に、自分のメールアドレスを書き入れたことはなかったからです。

いつ、そんなものが添付されてしまったのだろう・・?

私は早速、その旨を書いたコメントを、RMさんのブログに送りました。
そして、素人の行為とは思えないその工作にやりきれなさを感じ、しばし憂うつ感に捕らわれたのでした。


そして、年が明け ー。
数日前のことです。

私は、自分のブログの新着コメントを、受信メールでチェックしていました。
コメントが入ると、通知のメールが来るように設定しているのです。

すると、RMさんからのコメントの通知が入っていることに気付きました。
そして、「エッ?」と思いました。日付が昨年の12月27日だったからです。

内容を読むと、昨年の「メールフォーム」の件でした。
つまり、私の返信に対し、更に返信のコメントを頂いていたのです。

「なぜ、今まで気付かなかったのだろう・・・?」

私は、不可解でした。
受信メール欄は常にチェックしていますし、気付かないのはおかしいのです。
そもそも、受信メールの総数が少ないのですから、見落としは考えられません。
それに、ブログ内でも気付かなかったとは ー。

私は早速、自分のブログにアクセスして、このコメントを確認しました。
・・が、それはどこにもありませんでした。

「そんなはずは・・・」
私は、管理画面に入りすべてのコメントをチェックしました。
しかし、そのRMさんからのコメントはどこにもないのです。

どこに行ってしまったのでしょう・・・?

RFさんのコメントはFC2に届いたことは確かです。
「新着コメントのお知らせ」が、私のメールアドレスに入っているのですから ー。
しかし、その後に消えてしまったのです。

D様 ー。
不可解なことは、更に続きます。
私は、すぐRFさんに対し、お詫びのコメントを送りました。
再返信を頂いたことを知らなかった ー との事情を書いたのです。
そして、そのコメントに私のメールアドレスを書き添えました。

しかし・・・。
早速、私のアドレス宛に返信を送ろうとしたRFさんのメールは、配送されませんでした。
再度、送信しても駄目だったとのコメントが届いたのです。


D様 ー。
これらは、私へのネット妨害が行なわれているとしか思えません。
それは以前からあったのですが、このところ、それがあからさまになっています。

私がインターネット上で行っているのは、この組織犯罪の告発です。
何故、それを妨害するのか・・・この犯罪が、精神異常者の妄想であり、有り得ないことだと言うなら、そんな私の戯言など放って置けばいいのです。

それを躍起になり妨害をしてくるのは、その告発が事実であり、加害者たちとり不都合であるからに他なりません。加害者たちの妨害は、この犯罪が実在していることを、自ら公言する結果となっています。


中国には、サイバー監視隊が3万人もいるとか ー。
人口比からすれば、日本にも3千人位はいても不思議はないのですが、パソコンの普及率を鑑みれば、さらに多いとも推測されます。日本が、共産主義国家も顔負けの監視国家になっていることを、私は今回も実感させられました・・。



さて、D様 ー。
私は、この組織犯罪に気付いた当初のことを、今までに何度か書いています。
重なる部分もあると思いますが、それを少し書かせて頂きます。

当時、私は、目覚めるたびに付いている「危害の痕跡」にただ怯えていました。
それは注射痕であったり、低温やけどのような跡だったり、切り傷だったり、引っかき傷だったり ー 多様でした。

私は、それに気付く度に夫に見せていました。

夫の頭は、混乱しました。
有り得ない・・しかし、確かに付いている・・何故?・・これは何だ?

そして夫は、
「虫に食われたんだ」とする思考回路を作ってしまったのです。

真冬に、そして就寝中に、注射痕そっくりの痕跡を残す虫などいようはずもないのに ー。
その後、夫は何を見せてもその回路に入り込むのでした。

やがて私は、その「痕跡」に気付くことにすら、怯えるようになりました。
そして、入浴しない日が続いたのです。

眠ることもまた怯え・・就寝時には、携帯電話のアラームを1時間おきに鳴らす設定にしていました。
しかし、夜中に突然目覚めると、微かな消毒臭を感じ・・慌てて腕を擦ってみると、注射後のあの独特の痛みに触れるのでした。そして、設定していたはずのアラームは、すべてoffになっているのです。

私は、数ヶ月の間に体重が激減しました。

夫は、私が更年期障害に陥ったのだと考えたようでした。
病院に行くように勧めてくれていたのですが、私は拒否していました。

インターネット上には、この組織犯罪の詳細な情報が載っていました。
医者の中にも協力者がいること、精神異常者として処理されるケースが多いことなども書かれていました。

私は病院に行くことにすら怯えていたのです・・・。

人に言えば、精神障害者だとされる犯罪・・・日々、加害行為を受けながら、その罠に嵌ることにも用心しなければならず、被害者は二重の苦しみの中に置かれるのでした。


3年前の12月 ー。
私は、疲れきっていました。

私は眠るのが怖く、夫が寝静まった深夜、ひとり居間でぼんやりとしていました。
何も考えてはいなかったはずなのに、ふいに嗚咽が漏れ出ました。

そして、私は泣きながら、年老いた母がいること、母はすでに娘を一人亡くしていること、私までもが先に逝くことは出来ないこと、だから加害行為を止めて欲しいこと・・・そんなことを呟いてました。

傍から見れば、ノイローゼ患者そのものです。

そんな私の様子を、この犯罪者たちは面白く盗聴していたに違いありません。
自分たちの「仕事」の成果を楽しんだはずです。

勿論、その後も加害行為が止むことはありませんでした。

この犯罪は、対象者を自殺に追い込むか、身体にダメージを与え続け病気を作り上げるか、或いは事故を起こす細工をするか・・・被害者を死に追い込むまで止むことはないと言われています。

狂気が支配している犯罪 ー 通常の人間がもつ良心に訴えても無駄なのです。
なすすべもない恐怖と暗うつな日々の中で、私は、追い詰められて行きました・・・。

しかしD様 ー。
私は限界まで追い詰められた時、突然、開き直ったのです。
悲しみと恐怖の感情は、頭の隅に追いやられ、「怒り」が吹き出て来たのでした。

何故、こんな悪辣なこと出来るのか?
私がいったい何をしたというのだ。
この卑劣な者ともを、社会は何故許しておくのか ー?

それは激しい怒りでした・・・。


D様 ー。
私は怒り中で、ある言葉が脳裏に浮かんで来ました。

D様は、「葉隠」という書物は、もちろん御存知だと思います。
武士の心得を指南した書で、江戸時代に肥前国鍋島藩で書かれました。

この書物の冒頭に、
「武士道の根本は、死ぬことに尽きると会得した。死ぬか生きるか、二つに一つという場合に、死を選ぶというだけのことである。」・・と書かれています。

有名な「武士道と云ふは、死ぬ事と見附けたり」です。 

これは、別に死を賛美している訳ではなく、噛み砕いて言えば“覚悟を決めて進む”ということのようです。
私は「葉隠」をすべて読んだわけではなく、この部分を以前、何かの記事で読んだのです。     

そこには、武士の心得として、
「朝、もし顔色が悪かったら、頬に紅を差して出かけるべし」と書かれていたと記憶しています。つまり、「武士たる者は、いつ何時、刀を抜き合う相手に遭遇するやも知れぬ。その時、怖気づいて蒼くなっていたと言われるのは、恥ずべきことである。」というわけです。

D様 ー。
人間には当然、死を恐れる本能が備わっています。
しかし、それを克服しなければならない時もまた、あるはずだと思います。

命を粗末にするというのではありません。
かけがえの無い自分の命は、死を賭しても守らなければならない ー ということです。
矛盾するようですが、まさに「覚悟を決めて進む」という葉隠の一文です。

この組織犯罪の被害者は、常に生命が脅かされている状態にあります。
精神的にも肉体的にも、ダメージが与え続けられているのです。

しかし、被害者は死を恐れるあまり、この犯罪の中で沈黙してしまうべきではありません。
それは、この犯罪者たちを喜ばせるだけであり、加害行為を増長させるだけです。
自分の命を脅かす者には、怒りをもって立ち向かうべき ー そう思うのです。

私は、「勇気」とか、「正義感」とか、「果敢」とか、「毅然」とか・・・そんな言葉には遥かほど遠い者です。
しかし、卑劣な加害行為の中で、萎縮し沈黙しているのは愚かなことだと悟りました。

人として許されざる犯罪 ー それを告発するのに何を憚ることがあるでしょう。
どんな形でもいい、この犯罪に対し、凛とした怒りを示すべきだと思ったのです。

今まで、どれほどの人がこの犯罪の犠牲になって来たことか ー。
加害者たちは、この犯罪を社会が認知してないのをいいことに、やりたい放題でした。

しかし今、被害者が発信し続けてきた被害実態は、膨大な数になり、その全容を浮かび上がらせています。

もはや、この犯罪の存在は否定し得ない状況になっています。
正常な者が訴え続ける犯罪被害・・・それは取りも直さず「事実」であることに他なりません。

私もまた、声を上げよう ー そう思いました。



D様 ー。
私は今、ネット上で、この犯罪を告発しているに過ぎません。
「命を賭して」などと、大仰なことを言った割りには・・・とお思いですか?

しかし、あなたは苦笑いしながらも、社会への告発がこの犯罪を阻止する有効な方法であることを
知ってるはずです。そして、その成果はすでに上がっているということも ー。

社会の認知は、この犯罪組織を「脅威」という檻で静かに取り囲んでいるのです。


しかし、D様ー。
断末魔にいるものは、激しい抵抗を試みるものです。
私への加害行為は、激しさを増しています。

昨年12月、私はまた,左太ももに大きな「痣」が付いているのに気付きました。
私はもう、どんな些細な傷も病院で診てもらおうと決めています。
だから、病院に行くことにしました・・・。



D様 ー。
この続きを次回に書かせて頂きます。


この寒さは、今月一杯続くとか ー。
どうか、風邪など召しませぬよう御留意下さい。




                              2010.1.20
                                    万 留 子

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(78) いじめ事件について思うこと

D 様



線画のような影が揺れています。
隣家のブロック塀に映っているのです。
その上に広がるのはコバルトブルーの空・・。

厳寒の朝を、時は柔らかな陽差しの午後へと移ろわせました。

外に出れば、冷たい風が身を震わせ、
遠い太陽からの熱はわずかしか届かないけれど、懸命に私を暖めようとしてくれます。

太陽を愛おしく思う・・・。
冬の日に、ほんの束の間、優しさに包まれたようで ー。



D様 ー。
今年最初の手紙です。
もう少し早く出したかったのですが、パソコンへの妨害が激しくなっていて、
書き上げるまでに時間が掛かってしまうのです。

ワードで執筆中、
突然、画面が10分割されたり、文字のサイズが5から20までの間で目まぐるしく変わったり、
ハイパーリンクの画面が執拗に現われたり、画面が激しく揺れたり・・・

その妨害はあからさま、かつ執拗です。
その度に、しばらく執筆が中断されてしまいます。

しかしD様、私は今年も貴方への手紙を書き続けます。
この組織犯罪が続く限り、手紙を途絶えさすつもりはありません。
どうか、変わらずお読み下さいますよう ー。


さて、D様ー。
昨年10月、また「いじめ」による自殺事件がありました。
桐生市の小学6年生、上村明子ちゃんが自殺した事件です。

12歳の女の子が首吊り自殺・・・暗うつ感の中で接した報道でした。
学校でいったい何があったのでしょう?


毎日新聞・群馬版の報道は以下の通りです。<一部を抜粋引用>
       
 桐生市立新里東小6年、上村明子さん(12)が、2010年10月23日、同市新里町新川の自宅で、首をつって自殺した。派遣社員の父竜二さん(50)は、10月25日、「学校でのいじめが原因」と訴え、実名での取材に応じた。
「娘は、学校でいつも一人ぼっちだった。私が学校に相談に行っても、解決策が示されなかった」と涙ながらに話した。SOSはなぜ届かなかったのか。教育現場に重い課題を突きつけている。(引用終了)

明子ちゃんは、母親のために編んだマフラーを首に巻きつけ、カーテンレールで首を吊ったのでした・・。


D様 ー。
これまでの「いじめ事件」を振り返ってみたいと思います。

「いじめ」が、初めてクローズアップされたのは1986年です。
この年、東京中野区の男子生徒が自殺しました。「中野富士見中学いじめ自殺事件」と呼ばれています。
有名な事件ですから、D様も御存知のことと思います。

自殺したSH君は、級友グループから日常的にいじめを受けていました。制御する者がいないままにそれはエスカレートし、暴行にまで発展していたのです。

いじめグループの主導により行われた「葬式ごっこ」には、あろうことか担任教諭までもが加担したのでした。
SH君はそれ以来、学校を休みがちになりました。

そして、1986年2月1日深夜、岩手県盛岡市のショッピングセンター内の地下トイレで、自殺しているのが発見されたのです。「このままでは生き地獄になっちゃうよ」と書かれた遺書が、床に残されていました。

岩手県は、SH君の父親の故郷です。
彼はひとり列車に乗り、その地で下りました。
そして、・・・。

やりきれないのは、担任教師らの姑息さ ー
教師らは、SH君の自殺後、生徒たちに口止め工作をしたり、被害生徒に原因があるかのような発言を行なっていたのです。

そして、SH君の両親が起こした民事裁判において ー、
東京地裁の裁判官は、「葬式ごっこ」をいじめとは認めませんでした。
裁判官は、それは単なる「エピソード」だとしたのです。社会が唖然とした判決でした。

控訴審では、「普通の人なら苦痛に感じるはず」と認められたものの、
「いじめと自殺との因果関係は不明である」とされました。

遺書に書かれた「生き地獄になっちゃうよ」との悲痛な叫び、そして加害生徒たちの名前 ー
それでも自殺の原因は「不明」なのでした。

この1986年に起きた、小中高生の「いじめ自殺事件」は9件に及びました。
そして、この年から2000年までに報じられた「いじめ自殺事件」は48件です。
また、いじめが殺人に至った事件や、被害者が報復にでた傷害事件なども、少なからず報道されています。
(資料:「少年犯罪データベース:いじめ」)

2000年以降も、「いじめ自殺事件」は毎年起きています。
文部科学省は、根絶へと取り組む姿勢は見せているものの、むしろ実態を隠蔽する方向に作用している面があるようです。

文科省の統計によると、昨年度(2009年4月~2010年3月)に自殺した小中高生は、合計165名でした。
この中の1.2%をいじめが原因とされていますが、正確な数値なのかとの疑念は生じます。
「原因不明」が58.2%もありますし、「いじめ自殺」であることは明白にも関わらず、学校や教育委員会が調査すると「原因不明」として処理されるケースが多いのです。

いずれにしろ、学校において「いじめ」が続いている実態は否定できません。


さてD様 ー。
私の記憶に残っているいじめ事件の中に「山形マット死事件」があります。
真相が藪の中に残ったまま現在に至っています。

事件の概要は以下の通り。
1993年1月13日、明倫中学校(山形県新庄市)の男子生徒が、体育館の用具室内で遺体で発見されました。
生徒は、体育用マットの中に逆さの状態で入っていたのです。死因は「胸部圧迫による窒息死」でした。

事件の5日後、山形県警は、死亡したKY君の上級生3人を逮捕、同級生4人を補導しました。
そして、事情聴取が行われた結果、この7人の生徒は犯行を自白したのです。

しかし、その後、少年審判において、この上級生3人は犯行を否認し始めました。
そして審議後、家裁が3人に下した判決は「不処分」(無罪)でした。

その後、同級生4人も否認に転じ、家裁でも審議が行われました。
この審議においては、彼らが主張するアリバイは認められず、4人は、初等少年院と教護院に収容されました。

少年院に送致された3人は、この審判を不服として、仙台高裁に抗告しましたが、認めらませんでした。
そればかりか、裁判官は、判決理由の中で、先に無罪となった上級生3人についても、関与を示唆する異例の付言をしたのです。(同級生3人は、更に上告しましたが却下されました。)

では、この事件の民事訴訟はどうであったか ー。
被害者の遺族は、7人に対し「損害賠償請求」の訴訟を起こしましたが、この裁判で山形地裁が下した判決は、理不尽なものでした。裁判官は、「自白の信用性を肯定することは出来ない」、「本件の事件性すら、認定することができない」としたのてす。判決は「7人は全員無罪」でした・・。

つまり、「少年らは犯行を自白したが、それは嘘を言ったに過ぎない。被害者は、自らマットに巻きついて、逆さになったのだ。」ー ということになります。

どんな刑事裁判でも、自白の供述調書があれば、公判でそれを覆すことは至難のことです。
裁判所がその否認を認めることはほぼありません。
それがこの裁判においては、いとも簡単に「自白は信用できない」とされたのです。

当然、遺族は控訴しました。
仙台高裁は、「複数の者が暴力を振るい、力ずくで押し入れた可能性が高い」として、賠償金の支払いを命じたものの、尚、「Y君の自過失か否かの確定は出来ない」としたのでした。 

7人は上告しましたが、棄却され判決が確定しました。
彼らは、未だに犯行を認めておらず、真相は「藪の中」という訳です。

確かなのは、体育用マットで簀巻きにされ死んだ少年がいるということ、
7人は、KY君に対し日常的にいじめを行っていたということ、
そして、犯人は中学校内にいたということです。

以下は、ネット上のある記事から抜粋したものです。

<被害者の父親の話>
「今もって、彼らの中で、線香を上げに来る者は誰もいません。
 7人のある少年の祖父は、『あいつ(遺族)が、あがすけ(生意気の意味)だから、
 こんな目に遭うんだ』と語りました。
 少年たちは、本当にこれからも、偽りのままに生きていくつもりなのか、と思います。 
 彼らに伝えたいのは、今からでも遅くはないから真実を語り、謝罪に来て欲しいということ。
 有平は死んでしまって、もう話すことは出来ません。だからこそ、生きている彼らに真実を話して欲しい のです」

<近所の主婦の話>
「(容疑者と被害者は)遊んでいただけだ。飼っていた虫を、うっかり死なせたようなものだ」

<近所の別の主婦の話>
「あそこの育て方なら、(事件は)当然。」

容疑者の身内の子供たちは、被害者宅の玄関前で、妹を取り囲み、
「兄ちゃん殺されて嬉しいか」と罵ったと言う・・。

さらに、被害者遺族を貶めるための、根も葉もないデマがまことしやかに囁かれ、
塀には「殺してやる」との落書きが見つかりました。

また、明倫中のある父兄が、事件に関し、正義感をもった発言をしたところ、
その妻が、学校関係の母親たちから、執拗な嫌がらせや集団シカトをされるようになったといいます。
(彼女は、精神的なショックで、耳が聞こえなくなりました。)

※上記は、毎日新聞山形:明倫中マット死事件・11年目の「証言」より抜粋

上記の記事からは、この地域の閉鎖性・陰湿性が垣間見えています。
加害者を憎み、被害者に同情を寄せる・・・これが社会通念であり、良識のはずですが、この地域ではそれが逆転しているのです。
加害者が「善」で、被害者を「悪」とする捻じ曲がった構図が形成され、それに反するものは、集団的な「嫌がらせ」にさらされています。

これは、この地域だけなのでしょうか・・・?


D様 ー。
もう一つの「いじめ事件」を考察してみたいと思います。
2000年に川口市で起きた、中1男子生徒の自殺事件です。

この年の7月26日、川口市立中1年のOS君が、自宅納戸で、首吊り自殺をしているのが発見されました。
自宅の電話機の傍のメモ帳に「HELP ○○」の書き置きがありました。

「いじめではないか」との家族の指摘に、学校はその調査をしました。
そして、翌8月上旬に、遺族にその報告書を手渡したのです。

その報告書には、いじめを行なっていた9名の生徒が、アルファベットで記されていました。
校長は、記者会見でいじめを認めました。そして県警は、この生徒らが暴力を繰り返していたとして児童相談所へ通告したのでした。

OS君が受けていたいじめの概要は下記の通りです。

彼は入学直後より、同級生9人ほどから日常的に暴力を受けるようになりました。
下記のいじめを同級生たちが目撃しています。

1.腹を殴られる。(腹バン)
2.肩を肘で叩かれる。(プロレス技のエルボー)
3.背中に肘打ちされる。
4..太股を蹴られる。(麻酔蹴り=しびれて感覚がなくなり、歩けなくなる)、
 
※ 暴力は、休み時間などに3人~9人位が取り囲み、行われました。
 このグループは、暴力がばれないように、痣や痕跡が残らないやり方を心得ていたといいます。

その他のいじめは ー、

5.バッグがゴミ箱に捨てられていた。
6.学生服のズボンを隠された。

7.メガネや生徒手帳、消しゴムをとりあげられた。
 ※OS君のメガネは、フレームが歪んだり、レンズが外れることもあったといいます。
  強度の近視であるOS君は、どれほど困ったことか ー。

8.机の上に糊が塗られていた。
 ※OS君は強度の近視のため、糊が塗られていることに気付かず、机に手を付きました。
  この時は、担任が気付き「他人の迷惑になることはしないように」とクラス全員に注意したといいます。

9.シャープペンの芯が取られ、鉛筆を折られたりした。
 ※だからOS君は、ポケットにいつも小さくなった鉛筆を入れていたのでした。

上記したいじめ内容は、卑劣かつ悪質、そして残忍です。
OS君は、学校に行く度に、このいじめグループの標的にされていたのでした。
そして彼は、中学に入学した約4ヶ月後に首を吊りました・・・。


さてD様 ー。
遺族は、いじめ生徒9人とその親、そして川口市を提訴しました。
納得のいく説明と損害賠償を求めたのです。

しかし、さいたま地裁はその訴えを斥けました。
いじめの各行為について、日時、場所などが具体的にされていないというのです。
そして、「悪ふざけに類するもの」という川口市側の主張を認めたのでした。

D様 ー。
「悪ふざけ」とは、いったい何なのでしょう?

裁判官は、一人の少年を死へと追い詰めて行った犯罪行為を、「悪ふざけ」という加害者にとっては、この上なく都合のいい言葉にひっくるめてしまったのです。

なんともやりきれない判決です。
自殺直後は、学校も加害グループもいじめを認め、警察も児童相談所に通報しているのです。いじめの内容は悪辣・残忍であり、それ以外の自殺原因はありませんでした。それを、裁判官は屁理屈で否定したのです。


更にやりきれないないのは、加害グループの親 ー。
OS君の自殺直後、ある加害生徒の母親は、被害者を中傷する手紙を送り付けたのです。
手紙は3回にもわたり、「マスコミに出て芸能人気取りですか」「自殺の原因は家庭内にあった」
などと書かれていたといいます。

匿名でしたが、筆跡からある加害者の母親が疑われました。
遺族が問い詰めたところ、この母親は手紙を出したことを認めたのです。

遺族は2002年、中傷事件についてこの母親を提訴しました。
母親は、裁判において手紙を送付したことは認めたものの、遺族への謝罪はありませんでした。

また、別の加害生徒の親は ー、
OS君の遺族が、もう少し話を聞きたいと加害者宅を訪れた時、
「まだ片づいていないのか。いい加減にしてくれ。」「勝手に裁判でも何でも起こせ。」と言い放ったのでした。

D様 ー。
OS君は、ウクレレで、ハワイアンを演奏するのが好きでした。ウクレレは、父親から教えてもらったのです。
OS君の家には、暖かで和やかな空気が流れていたに違いありません。

「いじめを認めず、情報を出さない姿勢では、いじめ自殺は減らないし、私たちのような遺族の苦しみもなくならない」 ・・OS君の祖父の言葉です。

OS君は、エビフライや混ぜ御飯が好物でした。
遺族は今でも、月命日にはそれを作るのです・・・。


D様 ー。
一時的に報道され、その後は「いじめ自殺事件」というカテゴリーの中で、数字として埋もれていくこれらの事件には、何年経とうが、悲しみの深い霧に覆われている遺族がいるのです。

遺族のほとんどは、学校の隠ぺい体質と、理不尽な裁判に憤りを持っています。
加害者は罪に値する罰を受けず、遺族の損害賠償が認められることは稀です。
そこには、学校と加害者が一体となり、被害者と対峙する構図があるのです。

そして裁判では、いじめの実態があろうが、遺書があろうが、
ほとんどが「自殺との因果関係はなし」とされてしまいます。


理不尽な裁判の例に「丸子実業高校バレー部員自殺事件」があります。
いじめの加害者側が、被害者を訴えるという異例の展開をみせた事件です。

その経緯を簡略に説明します。
被害者のTY君は、中学生の時から喉に病気があり、かすれた小さな声しか出せませんでした。
高校に入ると、それをバレー部の先輩に執拗にからかわれるという「いじめ」を受けるようになりました。

また、ハンガーで思い切り頭を叩かれるという暴力も受けたこともありました。
TY君はうつ病になり、学校も休みがちになったのです。

母親は、学校や県教育委員会に「いじめを止めさせて欲しい」と訴えました。
しかし、校長、担任、バレー部顧問は「いじめはない」として、改善はされませんでした。
学校との話し合いの際に、バレーボール部顧問は「ふざけるなバカヤロー」などと母親を怒鳴ったと言います。

TY君は、バレー部の同級生や担任にメールを送り、何とか解決を図ろうとしたのですが、
彼らは、TY君のメールや電話を着信拒否にしていたのでした。


そして、学校から出席日数不足を理由に「このままでは進級できない」との通知を受けた後、
TY君は自殺しました。

遺書には、「物まねをされて死ぬほど嫌だった」と書かれていました。
また、そのことを書いた手紙やノートも見つかっています。

TY君の自殺後 ー。
母親は、民事訴訟を起こしました。
バレーボール部員とその両親、校長、長野県などに対し、損害賠償を求めたのです。

しかし、この裁判の係争中に、上級生やバレー部員など30人が共同で、母親を逆提訴したのです。
「いじめも暴力も、母親のでっち上げ。母親の行為で精神的苦痛を受けた」と言うのでした。
そして、3千万円の損害賠償を求めて来たのです。

これに対する長野地裁の判決は ー。
TY君の母親が1億3千万の損害賠償を求めたのに対し、
上級生の1人に、「1万円」を支払うよう命じただけでした。

そして、バレー部員らが3千万円の慰謝料を求めた逆提訴については、
原告のうち23人に「精神的苦痛を被った」ことを認め、母親に約34万円の支払いを命じたのです。

長野地裁の近藤るみ子裁判官は、被害者にはまず認められない損害賠償を、
加害側23人には「精神的苦痛」があったとして、いともたやすく認めたのでした。


この事件は、「山形マット死事件」と類似する、地域の陰湿性が見え隠れしています。
それを下記に箇条書きにしてみます。

1.母親に匿名の年賀状が届く。(2006年1月)
 「何故、子供が鬱病になったか考えなさい! この病気にかかると誰でも死にたくなる。いじめのせいに しているけ ど、本当は、母親の○○による情緒不安定! 何が「自分は○○○ちゃん」だ! 
 そういう異常な親に育てられたから現実逃避したくなったのでしょう。 
 今、彼は、やっと救われたのだから、大げさに騒ぐのはやめなさい!
 貴方の過去が、世間に知れ渡ってますよ!」・・と書かれていた。


2.被害者親子を支援していた県会議員に、バレーボール部員の父親から、
 「これ以上、高山さんにかかわると選挙に影響する」と電話が入った。

3.地元の警察官と、教育委員会の職員が、
 「TY君の母親は精神病者だ」などと、関係者やマスコミに流していた。(裁判の中で判明)

これらに加え、加害者側のバレー部員関係者が30人も一緒に、被害者の母親を提訴したことは、
いじめ事件において初めてのことでした。


学校や地域が一体となり、被害者と対峙している構図が見えています。
いじめの陰湿性もさることながら、地域全体が「対被害者」で絡み合い、善悪を逆転させているのです。


D様 ー。
「いじめ」の事実が、学校主導で隠ぺいされていく過程を、子供たちはどう見ているのでしょうか?

自分が目撃した「いじめ」が、大人たちにより無かったことにされて行くのです。
そして、加害生徒たちは、何事もなかったように学校生活に戻ります。
(「山形マット死事件」の加害少年の一人は、その後、地元の市役所に就職しています。)


D様、私は思います。
子供たちは今、正義が正義として通らないことを教えられているのだと ー。
また、多勢に付かなければ損だということ、そして、その多勢のやり方には合わせなければならないこと、
それに反すれば制裁されること ー を学んでいます。

つまり、「いじめ」は教育現場において、「従順な羊」作りに貢献しています。
「いじめ」は、その生きた教材となっているのです。

学校は、社会人の養成機関であり、子供たちはやがて社会へとスライドされて行きます。
養成機関では当然、今の社会に適合する人間作りが行なわれます。

統治者が理想とする社会人 ー それは、まさに「従順な羊」にほかなりません。
学校と地域、行政、司法までもが一体となり、被害者と対峙する ー その構図が形成されていく理由が見えて来るような気がします。そして、根絶されない理由もまた ー。


「中野富士見中学いじめ自殺事件」から、25年が経とうとしています。
しかし、未だにいじめが無くなるどころか、悪質かつ巧妙になっています。
そして、ほとんどのケースで、被害者が泣き寝入りを強いられているのです。


群馬の「小6女児自殺事件」 ー 12歳の少女が命を落とすまでに、学校で何があったのか?
事件を、この構図の中に沈み込ませることは、もう許すべきではありません。
私は執拗に注視していくつもりです。


D様 ー。
私は、集団ストーカーと呼ばれる組織犯罪の被害者ですが、この犯罪も「いじめ」と同じ土壌で行なわれています。地域の組織・団体、企業、行政などに配置された者たちが協力し合い、この卑劣な犯罪への加担、そして隠ぺいが行なわれています。そして、何の罪もない被害者が理不尽な、そして、壮絶な苦しみを受けているのです。

しかし、この社会は、この犯罪に関わらない人の方が圧倒的に多いことは確かです。
統治体制の巧妙な意図で動かされている「従順な羊」もまた、多いとは思いますが、社会の根底にある「正義」という機軸は、まだ根絶やしにはされてないはずです。

この組織犯罪が暴かれる日は必ず来る ー 私はそれを信じます。



D様 ー。
厳寒の日が続いています。
どうか健康に御留意下さいますよう ー。



                      2011.1.13
                            万 留 子




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