小説・集団ストーカー「D氏への手紙」(新設)

この日本で行われている信じがたい犯罪・・・その実態を書き続けます。(最新の記事はこちらを御訪問ください。)

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(77)   レインのこと

D 様



高く晴れ上がった師走の空です。
その彼方から陽光が降り注いでいます。
窓の内側から見る景色は暖かで穏やかで・・・。

でも私は、外が寒いことを知っています。
北風が、枯れ枝を揺らして教えてくれるのです。

だから、私は居間にいて
ひとり貴方への手紙を書いています。




D様 ー。
前回、予告した内容に入りたいと思います。

それは、6年前の10月のことでした。

私は、国道6号線を車で走っていました。
秋の陽が、景色の隅から消えようとしていた夕刻・・・。
フロントガラスの向こうは、ほの暗いベールに包まれつつありました。
私は、早めのライトを点けました。

車の速度計は、制限速度の50キロほどを表示していました。
制限速度を頑なに守るということは、他の車両にとっては迷惑なものです。
道路の流れというものがありますから、他の車両の速度に合わせることが必要 ー。
それは分かっていました。

しかし、その日、私は時速50キロを維持していました。

私は、後ろから付いてくるトラックが、イライラしているのが分かりました。
トラックは、車間距離をほとんど取らず、こちらを煽るような走行をしていたのです。
片側一車線の追い越し禁止区域なので、トラックは追い越すに追い越せないのでした。

私は、バックミラーでその様子を見て危険を感じていました。でも、速度は上げませんでした。
間もなく道路が2車線になるので、その時に追い越させようと思ったのです。

しかし、トラックの運転手は、2車線になるまで待てないようでした。
苛々が高じて、ライトをパッシングさせ始めました。

もう少し・・・もう少し行ったら片側2車線になる・・。
私は、かたくなに速度を上げませんでした。


やがて、2車線に入りました。
待ちかねたトラックが、エンジンを目一杯ふかしました。

「危ない!!」

私は、ヒヤッとしました。
トラックは、私の車体を掠めるほど接近して追い抜いて行ったのです。

「なんて乱暴な・・。」

私は、思わずクラクションを鳴らしました。
すると驚いたことに・・トラックは、急ブレーキをかけ停止したのでした。
私も、慌ててブレーキを踏みました。

2台の車が国道の真ん中で停まりました。
2車線に入ったところなので、他の車は私たちの横を通り過ぎて行きます。

停まったトラックのドアが開き、男が下りて来ました。
そして、私の車の方に歩いて来るのでした。

歳は三十代前半くらいでしょうか・・。
体全体から、怒りのオーラを発していました。

私は心臓が高鳴りました。

男は、私の運転席の横に来ると、ウィンドウのガラスを叩きました。
薄いサングラス風の眼鏡をかけ、首には金の太い鎖をしています。

私は一瞬、躊躇しましたが、やむなく運転席のウィンドウを開けました。

「何でしょうか?」
私は、どうにか平静な表情をつくり、運転手の男に聞きました。

すると、
「ノロノロ走ってんじゃねぇよ!! このババアが。人の迷惑ってものを考えろ!」 
男は、すごい剣幕で怒鳴るのでした。

私は、さらに動機が高くなりました。
しかし、ここまで言われることはないと思いました。

そして、
「速度違反をするのはいいけど、守っている者にそんな言い方はないでしょ。」
と言いました。その言葉は、男の怒りに火をつけたようでした。

「何んだとぅ!!」

男は、車の窓枠に手を掛けました。
そして、すごい形相で運転席に顔を突っ込んできました。
中指に大きな指輪をしているのが見えました。

私は、助手席側に身をのけ反らせました。

謝れば良かったのよ。いつもそう・・余計なことをつい口に出してしまう・・・。
もう一人の自分が私をなじっていました。

しかし ー。
男は、すぐ顔を引っ込めたのでした。
私の顔をチラッと見た男の目からは、もう怒りが消えていました。
そして、「分かったよ・・」と、小さく呟くなり、彼はあっさりトラックに戻って行ったのでした。

私は、あっ気に取られました。
小走りに去っていく男の後姿には、もう怒りのオーラはありませんでした。

どうして・・・?

そして次の瞬間、私は、彼が怒りを沈めた理由に気付きました。
彼は、私の車に顔を突っ込んだ時、後部座席が目に入ったのです。
そこには・・・。


D様 ー。
話を4ヶ月ほど遡らせて頂きます。
その年の6月上旬のことでした・・・。

私は、県道35号線を車で走っていました。
通称「山麓線」と呼ばれるこの道路は、国道6号線とほぼ平行しています。
山間を走っていますので、林の間を通っている区域も少なくありません。

そんな山間部を走っている時 ー。
私は、道路の端を歩いている痩せた犬を見かけました。
大きな犬でした。

犬の脚の毛には、枯枝や枯草が絡まっていました。
山中をずいぶん歩き回ったのでしょう。

私は、捨て犬だと直感しました。
山間部では、時折見かけるのです。

私は、犬を10メートルほど追い越し、車を停めました。
そして、車から下り、犬に呼びかけてみました。

「おいで。」

犬は立ち止まりました。
生気のない目で私を見ています。

「こっちにおいで・・。」

私は、もう一度、呼び掛けました。
すると、犬は近づいて来たのでした。
幸いにして、人間に対する不信感はまだ持っていないようでした

長くさまよっている犬は、保護しようとしても逃げてしまいます。
人間に対し、警戒心が強くなっているのです。私は、何度か呼びかけたことがありますが、
どの犬も逃げるばかりでした。

私は、その大きな犬に話しかけました。
「どうしたの? どこへ行くの。」

犬は体が濡れていました。
その日は晴天で、雨は一時的にも降っていません。
山間を歩き回り、水溜りにでもはまってしまったのでしょう。

犬は頭を撫でられたまま、ジッと私を見るのでした。
骨と皮ばかりになっていましたが、目は穏やかな光をたたえていました。

それが、私とレインの出会いでした・・・。

犬種は「セッター犬」の雌だと、のちに獣医が教えてくれました。
大型犬で、細長い顔に大きな耳が垂れています。毛足は長く、手入れをすればゴールドに光るはずでした。

その時、私は用事を済ませて会社に戻るところでした。
私は、車の後部ドアを開け、犬に乗るように言いました。
すると、彼女は素直に乗り込んだのでした。車には乗り慣れているようでした。

会社に戻り、私は近隣の役場に「犬の行方を捜している人はいないか」と問い合わせをしました。
しかし、迷い犬を探している人はいませんでした。

犬の特徴を言って、飼い主の心当たりを尋ねましたが、「分からない」との返答だけでした。
そして、役場で預かれば、一定期間後に殺処分になるとも・・・。 

私は、犬を会社で保護することにしました。
名前は「レイン」と名付けました。
出会いの日、雨に打たれたように体が塗れていたからです。

当時、会社にはパルがいました。
パルは、突然の珍客に驚いた様子でした。
そして、取り合えず吠えておこうか・・という風にレインに向かって吠えるのでした。
しかし、明らかに弱っているレインを見て、自分の敵ではないと悟ったようです。
その後は会社にいることを黙認してくれました。

レインは、病気でした。
お尻に、野球ボールを半分に切った位の赤い腫れが出来ていたのです。
動物病院で診てもらうと「膣蓄膿症(ちつちくのうしょう)」とのことでした。

「先生、手術すれば治るんでしょうか?」
私は、獣医に尋ねました。
「うーん。手術は出来るけど・・今、手術したら、この犬死んじゃうよ。」

先生の言うことは尤もなことでした。
レインは骨に皮が貼り付いているくらいに痩せこけていたのですから ー。


私は、取り合えず、レインに体力を付けさせることにしました。
幸いにして、従業員たちも、仕事の合間に面倒を見てくれました。
レインは、彼らが与える弁当のおかずや、ドッグフードを喜んで食べました。

私は、暇があるとレインに毛づくろいをしてやりました。
本来ならば、豊かで美しいであろうレインの毛は、艶を失くし量も少なくなっていました。
私は、本来の美しさを取り戻して上げたいと思ったのです。

「レイン、綺麗になろうね。みんながびっくりするくらい・・。」
レインはブラシを当てられると、気持ち良さそうに、その痩せた体を横たえるのでした。

2ヶ月ほどすると、レインは少し肉が付いて来ました。
まだあばら骨は見えていましたが、初めの頃とは印象が変わりました。
本来の気品ある容貌に戻りつつあるようでした。

「レイン、もうすぐ手術が出来るからね。だから一杯食べるのよ。」
私は、いつもそんな言葉をかけていました。

しかし ー、
レインは、それ以上太ることが出来ませんでした。
そればかりか、病気が悪化して来たのです。お尻の出来物から出血するようになってしまいました。

私は、レインをまた動物病院に連れて行きました。
「悪化してるな。でも、手術は無理な状態だなぁ・・まだ骨が浮いてるもの。」
私は抗生物質を受け取り、引き返さざるを得ませんでした。

レインの病状は日ごとに悪化していきました。
半球型の出来物は赤味を増し、そこからポタポタと血が滴り落ちるのです。
レインは会社の敷地内をヨロヨロと動きまわり、彼女の歩いたあとには血の跡が点々と付くのでした。

私がいる事務所の前に来て、硝子のドアに顔をつけて、私の方をジッと見ていることが多くなりました。
私を見ると安心するようでした。レインが居たところは血の跡が広がっているのです。

私は、会社の従業員に紙オムツを買って来てもらい、レインに着けてやりました。当時、動物用の紙オムツがあることを知らず、私は子供用のものを買って来させたのですが、それでは小さく、結局、大人用のオムツにしました。

オムツを着けて会社の敷地内を歩き回るレインは、見る人の笑いを誘うのでした。
それは、哀しくも滑稽な姿でした。

レインは、徐々に痩せていきました。
出会った頃の体重に戻ったかのようでした。
そして、敷地内の草むらで横たわっていることが多くなってきました。

動物病院に連れて行っても、なすすべはなく、獣医は、抗生物質を処方くれるだけでした。
そんな日がしばらく続くと、やがてレインは食べ物を口にしなくなりました。
それまで何とか食べていたドックフードを、全く食べなくなったのです。

チーズなら食べるかも知れない・・・。

私は、レインと出会った日にチーズを与えたことを思い出しました。
レインはあの日、チーズの一箱全部を1分も掛からずに平らげてしまったのでした。

私は、コンビニにからチーズを買って来ました。
しかし、レインは嗅いだだけででした。食べることはなかったのです。

私は、IW市のAN動物病院の先生は「経験豊かな名医」だと知人から教えられ、レインを連れて行きました。レインを見て、先生は、栄養剤を打ってくれましたが、特に治療はしませんでした。
もう、治療できる状態ではなかったのでしょう。

ただ、「ちょっと待ってね」と診察室を出て、戻ってくるとレインの口元に何かを持っていきました。
するとレインは、それを一瞬にして呑み込みました。
食べたのです・・。

「先生、それは何ですか?」
私は、驚いて尋ねました。
「うん・・鶏の唐揚げ・・」

動物病院からの帰り、私はコンビニに寄り、鶏の唐揚げをたくさん買い込みました。
そして、後部座席で横たわるレインを気遣い、国道6号線をゆっくり会社へと走り出しました。
制限速度の50キロをキープして・・・。

後ろのトラックがイライラしていました。



D様-。
あの時、トラックの運転手は怒り狂っていました。
私の言葉に逆上し、運転席に首を突っ込んで来たのです。

しかし、その時 ー。
運転手は、後部座席のレインを見たのです。
骨と皮ばかりになり、オムツをして横たわっている犬・・。


運転手の男は、私がスピードを上げなかった理由を瞬時に理解したのでした。
そして、「そういうことかよ」と小さく呟いて行ってしまったのです。

彼の人間性の中にある「優しさ」が、怒りの感情を一瞬にして沈めました。
強面にサングラス、中指の大きな指輪、そして乱暴な言葉・・・そんな人でしたが、彼は確かに「優しさ」を持った人だったのです。



D様 ー。
結局、レインの食欲は戻りませんでした。
私が買い込んだ鶏の唐揚げは、ほとんどが残ってしまいました。

レインは一日の大部分を、敷地内の桜の木の下で過ごすようになりました。草の上に寝転んでいるのです。
夜は、工場内の片隅に作ってやった寝床に連れて行きます。夜はパルと2匹だけで過ごすのですが、パルは我関せずという風にマイペースで寝ていました。

IW市の病院に行った4,5日後 ー。
私は、会社から帰宅する時、レインを寝床に連れて行こうとしました。
いつもはヨロヨロと起き上がって、私に従うのですが、その日、レインはそこに居たがりました。
動かないのです。

「レイン、外は寒くなるよ。中に入ろう。」
しかし、レインは、横たわったまま動こうとしませんでした。

自然の中にいる方が安らぐのかも知れない・・・。
私は、レインが望むままに、今夜はここで寝かしてあげようと思いました。

とは言え、夜露に当たらないようにしなければなりません。
私は、工場内からブルーシートと棒を探して出して来て、レインの上に屋根を作ることにしました。桜の枝にブルーシートの端を結び付けました。一方に杭を立てブルーシートがレインに覆いかぶさらないようにしました。

その作業の間中、私はレインに話しかけていました。

「夜露は体に悪いからね。外で寝るのはいいけど、この下から出ちゃ駄目よ。」
「とにかく御飯を一杯食べること。太れば手術が出来るんだからね。」
「レインはいい子だから、分かるよね。」「病気が治れば、いろんなところに連れてってあげるから。」

やがて、不恰好ながら、どうにか夜露がしのげる「屋根」が出来ました。

「これでも一生懸命作ったんだからね。不満言っちゃ駄目よ。」

私は、レインの顔を見ました。
レインは横たわったまま、私の方を見上げていました。
その目は優しく穏やかで・・・。

「水はここに置くよ。チーズはここ・・」
レインは、私を見上げたままです。

「レイン・・?」
レインの表情が動きません。
「レイン・・レイン!!」

レインはもう死んでいました・・・。


私は、レインの瞼を閉じてあげました。

悲しみの波が私を襲い、思わず嗚咽が漏れ出ました。
涙は止めようもなく、後から後から・・・。

午後10時を過ぎた工場には誰もいず、
私は一人、レインのまだ暖かい体を抱き締めていたのでした・・。


D様 ー。
レインは、穏やかで優しい表情をしていました。
彼女は横たわったまま、私の言葉を聞き、その目は、私を追っていたのでしょう。
そして、そのまま逝ってしまったのです。

レインは、人から優しさを引き出す犬でした。
私は自分の中の、その人間的な感情を引き出してくれたレインに感謝の気持を持っています。
逆上したあのトラックの運転手もまた、レインに「優しさ」を引き出されたのです。

レインが逝ったのは、6年前の10月23日 ー 。
新潟・中越地震の日でした。



D様 ー。

これが今年最後の手紙になりました。
この組織犯罪の壊滅を願った1年が過ぎようとしています。

この社会に生きる大部分の人は、その心に人としての「優しさ」を内包しているはずです。
そんな人々が形成しているこの社会が、この卑劣な犯罪を憎み、排除していくパワーを内包しているのも、また確かだと思います。被害者たちが上げ続ける告発は、やがてそのパワーを取り込んでいくことでしょう。
私は、この犯罪が暴かれる日は必ず来ると信じます。




年末年始の天候は荒れるとか ー。
どうか御自愛の上、良いお年をお迎え下さいますよう。


                            2010.12.29
                             万 留 子

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(76)そして、裁判へ

<本文に入る前に>

読者の皆さまへ

長い間、記事の更新が出来ないままに焦燥の日々を送っておりました。
ご心配をおかけ致しましたことをお詫び申し上げます。

以前のサイトの管理画面に入れない状態が3週間以上続いています
パスワードかアカウントが違っているのかと、Fc2へは、もう何度も問い合わせをしています。
そのうち、3度はメールを受け取った旨の自動送信がありましたが、返答が一向に届かないのです。(今日現在)

やむなく、本日、別のメールアドレスでこのサイトを立ち上げたしだいです。
以前のサイトの続きを掲載いたしました。

今後しばらく、このサイトを御訪問頂ければ幸いです。
以前同様の応援が頂けますならば嬉しく思います。

                         12月21日   ミセス・まるこ





☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆


(76) そして、裁判へ



D 様


今日のこの地は快晴です。
柔らかな光の粒子があたりを包んでいます。

高く青い空・・・それは確かに、この地方の冬の空です。
その一角に、枯枝が幾何学模様を描いています。
庭の木々の影もまた、地面に不規則な模様を作り・・・。

穏やかな12月の午前 ー。
迫る年の瀬の喧騒はなく、
私はひとり居間にいて、コーヒーの柔らかな湯気を見つめています。


D様 ー。
執筆への妨害が続いています。
インターネットに繋がない状態で、ワードへ介入が行われています。
それが最近、エスカレートして来ました。

私は、以前から、「突然カーソルが飛ぶ現象」や「画面の激しい揺れ」などの被害を訴えています。現在はそれに加え、文字の大きさが頻繁に変わったり、突如、画面が分割されたり、漢字変換が出来なくなったり・・・あらゆる手口にエスカレートしているのです。

この犯罪の被害者は、パソコン操作時の被害を訴える方が多いのですが、
私の場合もその例外ではなく、あからさまな執筆妨害が行われています。

パソコンの遠隔操作の技術は確立されており、パソコンの持ち主と同様のキー操作が可能なのですから、この加害行為を「有り得ない」などというレベルの言葉で否定することは出来ません。

インターネットに繋がない状態でのこの妨害は、近隣のアジトから行われていると考えられます。
このパソコンを覗き、介入している卑劣漢が近くにいるということです。

この者たちの犯罪は、こればかりではありません。
あらゆる卑劣な行為を繰り返しているのです。


D様 ー。
私は、この日本社会の狭間で、このような犯罪者たちが生息していることに驚きを禁じ得ません。
この者たちを支配している論理は何なのでしょう?

なぜ、このような者が作られてしまったのか・・・?

オウム真理教にその例を見ることができます。
師と仰ぐ教祖に心酔し、人の道を踏み外したオウム信者たち・・・。

今、この日本にその精神構造と同じ者たちが、卑劣な犯罪を犯しているのです。
証拠に残らなければ何をしてもいい・・それがこの者たちの論理です。
狂気が支配しているのです。

D様 ー。
この者たちは、生涯このような狂った人生を脱することはないのでしょうか?
だとすれば、ただ哀れです。人として生まれ、人として生きられないのですから・・・。



さてD様 ー。
前回の続きを書きたいと思います。
留置場生活のなかで、気がかりだったこと・・・。

まず ー。
逮捕は、私にとって初めての経験でした。
当然、留置場生活も初めてだったわけですが、私は意外にもすぐ順応しました。
元々が割り切りの早い性格で、「当分はこの生活になるはず・・。」と覚悟を決めたのです。

それに、留置場は思ったより、居心地は悪くありませんでした。
留置課と同フロアにあるので、冷暖房が効いてますし、中は意外に清潔でした。

夜具類には、すべてに洗濯したてのカバーがしてありましたし、私は、枕が変わると眠れない ー という繊細な性格でもないので、熟睡できました。

また、衣類などの洗濯は、係官が1日置きにしてくれました。
朝に洗濯ネットに入れて出すと、午後にはふっくらと乾いたものが届けられるのです。

食事が口に合わなければ、出入り業者から出前を取ることも可能でしたし、日用品や嗜好品(パン・菓子類・飲み物)も品目に限りはありますが、購入することが出来ました。

そんなわけで、留置場での生活は、覚悟を決めれば「耐え難い」というものではないのでした。
 ・・が、私には気掛かりなことが一つありました。

それは、夫のことでした。

逮捕の翌々日 ー。
面会に来た弁護士から、私はその事実を知らされたのです。
夫の逮捕は私と同日 ー 容疑も同じ「再委託違反」でした。

ショックと共に、
理不尽な逮捕・・・そう思いました。

夫は、FK社の役員になっていましたが、常勤ではありません。
私の手に余る事態になった時に、助力をしていた ー と言う立場です。
この事件においても、HYの不祥事の後始末に奔走したに過ぎません。
それが、私と同じ「再委託違反」とは・・・

夫は、私とはずいぶん歳が離れています。
彼は若くは見えますが、社会的には高齢と言われる年齢になっていました。
私は、夫の健康が心配だったのです。

のちに知ったことですが、彼は逮捕に抗議してハンストをしたのでした。
水を口にする以外は、食事は一切摂らなかったのです。

係官たちが説得しても、食べ物を口にすることはなく、困った留置課は、病院で健康診断を受けさせました。
軽い糖尿の気があるだけで、健康は心配なかったのですが ー。

弁護士から、「体力を付けなければ、こちらの主張にも力が入らず、検察側の有利になるだけ」と説得され、5日目位から食事を摂り始めたのでした。


さてD様 ー。
検察が、夫を「再委託」で立証するには無理がありました。
私の場合ですら、それが県の強い要請により行われたのは明白なのですから、 「再委託違反」を立件しようとすれば、担当課のEN課長やIG部長が「共犯」となることは免れません。

私は、W刑事の取調べの時、
「私を逮捕したなら、担当課の職員たちも逮捕するべきです。早く逮捕して下さい。」と、
何度か言いましたが・・。

「いや・・それは、今やってるから。向こうにも日誌があるんで、何日に視察に行った・・・とか、調べてる。」 W刑事の歯切れは悪いのでした。

結論を言えば、結局、警察は県の職員たちを逮捕しませんでした。
「再委託は県からの強要」という明らかな事実を無視したのです。

警察は、F県の不利益になることを避けたのでしょう。
彼らとて、F県から給料を貰っているのですから・・・


D様 ー。
結論を言いますと、起訴されたのは夫だけでした。
私は、23日間の留置後に釈放となったのです。

何故、そんなねじれた結果となったのか?
夫は、自分が「再委託」のという罪に問われた理不尽さを、的確に主張出来なかったのだと思います。夫は「廃掃法」について詳しい知識はありませんでした。検察の巧妙な論理のすり替えを、論破できなかったのです。

私自身は、この事件における「廃掃法」の必要な部分は頭に入っていました。
私は、業務上の必要な資格を持っていましたし、会社の実務はすべて私が行っていたのですから、当然です。しかし、夫は私が行き詰った時の補佐的な役割でしかなく、「廃掃法」の詳細は知る由もはありません。

「再委託は行政側の強要 」ー そう主張する私に対し、検察は手を焼いていました。
検察は、私が最初に問いかけた質問 ー。

担当課職員を何故、逮捕しないのか?
一回目の搬出と二回目の搬出はどこが違うのか?

それに答えることが出来なかったのです。

FK社に再委託を強要したのは、県の担当課でした。それは、紛れもない事実です。
私が担当課に提出した様々な書面は、それを裏付けていました。

それを主張していれば、検察は行き詰ったはずでした。
県の担当課とFK社との力関係は、県が圧倒的に強いことは言うまでもありません。
許可権限を持つ行政に、業者が逆らえるはずはないのです。
それは、どんな業種においても同じだと思います。

「再委託」は県からの強要・・・それは否定できない事実でした。


さて、D様ー。
夫は、私の釈放を強く望んでいました。
私が夫を心配していたように、夫もまた私のことが気がかりだったのです。

夫は当然、容疑を強く否認をしていました。しかし、検察の巧妙な話術に、序々に取り込まれていきました。
夫は、私の様子を知りませんので、このままでは二人とも起訴になると踏んだようでした。


D様 ー。
検察は、行き詰っていたはずです。
しかし、そんなことはおくびにも出さず、夫には強気の姿勢を示していたのでした。
そんな中、夫はつい検察と取引してしまったのです。
自分が全部の容疑を認めるから、社長を釈放しろと ー。

検察は、小躍りして喜んだに違いありません。
検察にすれば「渡りに舟」です。
それは、その日で留置期限が切れるという日でした。

被疑者が逮捕された場合、合計で23日間の拘束が認められるようです。
検察はそれまでに、起訴か不起訴かを決めなければなりません。

その留置期限の日 ー。
夫は、私の釈放が決定したのを確認し、すべてを認めたのでした。
ST検事は、夫が留置されていたこの町のT警察署に、飛んで来たといいます。
そして、検察のストーリーに合った夫の供述調書が作られたのでした。

私は、夫がそんな調書に協力してしまったことは、今でも残念に思っています。
私は裁判に臨み、自分の主張をする覚悟をしていたのですから・・。
それでも、夫の心情を思えば責めることは出来ません。

夫は起訴されました・・・。


さてD様 ー。
検察は、裁判でどんな論理を展開したのか ー。

検察の冒頭陳述要旨のポイントは下記の通りです。
① 在庫は、「前の共同代表者(YM)が残していったもの」と、FK社が強弁 した。
  そして、県の担当課がやむなくそれを認めた。
② 故に、担当課は他業者への委託を認めた。
③ FK社(夫)は、許可を持たないHYに、不法に収集運搬を委託した。
④ そして、HYに倉庫を探させ、運びきれない分をそこに保管した。
⑤ 更に、その後、倉庫を移動させるために、また、HYに収集運搬を不法に 
  委託した。


これら①~⑤は、事実の歪曲というほかはありません。
以下に反証したいと思います。
(今までに書いたものと重複する部分もありますので、簡略に記します。)

①と②について
搬出した在庫を、たとえ当社が「YMが残して行ったもの」と強弁したにしても、担当課はそれを一蹴すればいいのです。彼らはそれが、膨らんでいった当社の在庫であることは、百も承知していたのですから ー。

「当社がYMの在庫だと言い張ったから認めざるを得なかった」・・・。
この論理は、業者と担当課の力関係を逆転させています。
業者と行政の力関係において、業者側が主導権をとることはあり得ません。

私は、在庫は新しい焼却炉であれば、3日ほどで処分が可能であることを説明し、ぜひ、そうさせて欲しいと担当課に申し入れたのです。しかし、彼らはそれを頑として聞かず「再委託」を強要して来たのでした。

当時の私が書いていた業務日誌には、その経緯が克明に記されています。
警察は、それを押収して行ったのですから、「強要」の事実は証明されるはずでした。
更に、私がEN課長から尻を叩かれて書いた搬出の計画書などの書面も、それを裏付けていました。担当課は、法に適った行政指導をするべきだったのです。

③について
FK社が、HYに不法に収集運搬を委託したというのは荒唐無稽な主張です。
前記したとおり、HYは当社が臨時雇用した者ですから、HYが収集運搬の許可を得ている必要はありません。FK社がその許可を持っているのですから、あえて不法委託する理由はないのです。

④について
倉庫への保管は、HYが当社の金を他へ流用した為、仲間に協力させて行ったことです。
それはHYも認めています。夫の関わりは、倉庫を移動した時からで、それは、HYの不祥事を解決する奔走したに過ぎません。あえて、夫に罪を問うとすればこの部分ですが、悪質な罪を犯したと言えるのでしょうか。

⑤について
当社からの搬出が、YMへの不法委託だとするなら、この倉庫から倉庫への移動が、当社からの不法委託だと主張することは出来ません。
つまり、廃掃法において「委託」をするということは、廃棄物が委託を受けた側の管理になるということです。一度委託した廃棄物を、同じ排出側が再度委託をするなどという論理は、成り立たないのです。

会社からの搬出時に、「HYに委託した」とされた廃棄物が、倉庫に保管してあったからと言って、再度、会社が「HYに委託した」ということは法的に主張することは出来ません。

私は、これらの矛盾を指摘した陳述書を書きました。
そして、弁護士を通し、裁判に提出しようとしました。

しかし、証拠の提出には検事の同意が必要とのことでで、それが得られず、採用されることはありませんでした。また、私が法廷で証人となる申請も裁判官から撥ね付けられたのでした。

この日本における刑事裁判の有罪率は98パーセントとか・・・。
裁判が、事実を正しく判定しているとは到底思えない高率です。
夫の裁判もまた、検察の主張を認めるセレモニーでしかありませんでした。

弁護士は、夫の知人の紹介で依頼したのでしたが、検事を定年まで務めた後、事務所を開いた人で、被告人側の主張を的確に捉え、法廷で主張していくというすべは身に着けていませんでした。


結局、夫は「有罪」の判決ー。
執行猶予が付いたとはいえ、私は、やり切れない思いでした。

ある地元紙は、悪意ある見出しで夫の有罪を報じました。
その紙名をもじって「F官報」と呼ばれているこの新聞は、検察が主張していないことまで記事にしているのでした。つまり、倉庫への不法保管については、夫は罪に問われることはなかったのですが、それをこの新聞は、関与したごとくの記事を載せたのです。

私は、控訴を考え、仙台市の弁護士に相談をしましたが・・・、
「有罪といっても、現実的に刑が執行されるわけではなく、これで良しとした方が利口ですよ。」と言うのでした。

夫自身も、一度の裁判でもう気力は使い果たしたようで、無力感に捉われていました。
私は、納得せざるを得ませんでした。


結局、FK社の業務許可は取り消されました。
事件に頬かぶりを通した担当課は、臆面もなくその通知を送って来たのです。
夫が、会社に注ぎ込んできた何千万円もの資金は、露と消えたのでした。


D様ー。
今、私は思います。
あの事件は何だったのだろうかと・・。

私の会社は、そんなに悪質なことをしたのでしょうか?

かつて従業員たちが、煙に神経を使い、走り回った工場は今はありません。
焼却炉の設計図に目を輝かせ、設置の場所を何度も確認していた夫・・・
その姿は、工場内に戻された大量の廃棄物を前に、呆然と立ち尽くす姿に重なります。
事件後、彼は一挙に老け込みました。

D様 ー。
私は、この事件について、まだ書き尽くしてはいません。
でも、取り合えずこのテーマでの筆を置きたいと思います。
今後、書く機会があれば幸いです。


2010年も終わろうとしています。
今年は、あと1回ほどお手紙を書きたいと思っています。
エスカレートする妨害の中でも、私は執筆を止めることはありません。

次回は、6年前のある出来事を書こうと思います。
それは、新潟大震地震があったの日でした・・・。


寒い日が続いています。
御自愛下さいますますよう ー。
                               
                                2010.12.19
                                      万 留 子


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(75)  事件の発覚


D 様



今日この地に広がるのは冬色の空です。
無機質な空から落ちてくる雨の粒が、微かな音をたて地面を濡らしています。

テレビの画面は、ディズニーランドのクリスマス・イルミネーションを映し、
それを伝えるアナウンサーの声は高揚しています。

それに対比するかのように・・・、
この地に広がるのは憂鬱な冬空です。



D様 ー。
さて、前回の続きを書かせて頂きす。

FK社の命運を賭けた在庫の搬出 ー それは、思わぬ形で暗転したのでした。
処分したはずの在庫は、そのほとんどが別の倉庫に保管されていたのです。

HYに解決を迫っても、泣いて謝るだけでした。
「責任は必ず取る。もう少し待ってくれれば、金が入るから。」
そんな言葉を信じるわけには行きませんでした。


夫は、対応に追われました。
Y県の業者に掛け合ったのですが、短期間で在庫すべての受け入れるのは無理でした。
数回にわたり運搬をさせましたが、ほとんどの廃棄物は、「別の倉庫」に残される結果となったのでした。

「別の倉庫」ー これもHYが見つけて来たものです。
HYは、地元で生まれ育った人間ですから、近隣の事情に通じていました。

夫は、HYには「怒り心頭」だったのですが、事態解決のためには、
この男を頼るしたありませんでした。

倉庫は、養鶏場として建てられたものでした。
しかし、養鶏場としては使われないまま倉庫になっていたのです。


平成16年が暮れようとしていました。
「年が明けたら、別の業者にもあたって、一挙に処分して貰うしかないな。」
夫は疲れきっていました。

年が明けたら・・・。


しかし、平成17年が明け ー。
事態は、最悪のシナリオで展開し始めたのです。

4日は、FK社の仕事始めの日でした。
私は、社員たち(と言っても7名ほどです)に新年の挨拶をし、仕事に取り掛からせました。
そして、私自身も事務所でデスクワークを始めました。

お昼近くになり ー。
夫から電話が入りました。

「とんでもないことになった・・。」
夫の声には、困惑と焦りの響きがありました。

「県の担当者たちが倉庫に来て、中を見て行ったらしい。 」

私は、言葉を失くしました。
それは、心のどこかで恐れていたことでした。

「万事休す」でした・・・。

私は、事実を有りのままに言うべきだと思いました。
夫も同感で、HYを連れて担当課に赴くことになりました。

そして夫は、担当課のEN課長らに、経緯と事情を説明したのでした。

夫の訪問を受けた時、EN課長は事態の打開をどのように図るべきか、まだ、検討すらしていない段階だったと思います。経緯の一部始終を聞くのみだったと言います。

この不祥事は、当社に責任があるのは当然です。
しかし、当社の意に反し、在庫の搬出を強く要求したのはこの担当課でした。
搬出は、担当課の指導の下に行われたのです。
彼らもまた、責任を免れようもありません。

しかし、彼らはまず、自己保身を考えたはずです。頭を寄せ合って、対応を検討したのでしょう。
そして、自分たちには法的責任が及ばないと判断したようです。

結局、警察に通報したのでした。


さて、D様 ー。
ことの発覚は、誰かの密告によるものでした。
のちに知ったことによれば、通報者は、名前も名乗らないままに、詳しい経緯の説明をし、倉庫の場所も明確に伝えたと言います。

これが、誰であるか・・・未だ分かりません。
しかし、この通報者が言ったという、あるキーワードから、私はある人間を強く疑っています。それは、後述したいと思います。


D様 ー。
事件は公になり、新聞にはセンセーショナルな見出しが躍りました。
医療廃棄物の不法保管 ー これは、世間の耳目を集める格好の事件だったのでしょう。会社には、新聞やテレビ局の記者がやって来ました。

私は頭を抱えました。
しかし、会社の代表者としての責務は、果たさなければなりません。
病院との契約は続いているのですから、収集運搬と焼却の作業を休むわけにはいきません。それと平行して、倉庫に保管してある在庫の問題を解決しなければならないのです。

私は、社員たちの動揺を沈め、事態の収拾に協力して貰わなければなりませんでした。
工場長には、私の指示通りに動くことを申し渡しました。


やがて、警察の現場検証が始まりました・・・。

D様 ー。
この後のことは、私の取調べの様子と共に書いていこうと思います。

逮捕された翌々日だったと思います。
私は、検察庁のIW支部に護送されました。

そこの一室に入ると、窓を背にした机に若い男性が座っていました。
ST検事 ー 私の取調べを担当することになった検事です。

L字型に並べたもう一つの机には書記官がいました。
それぞれの机の上にパソコンが置いてあります。

ST検事の前にパイプ椅子が置いてあり、私はそこに座りました。
「貴方は、廃掃法○○条○項の容疑で逮捕されました。それについて、何か言いたいことはあるかな?」

検事に成り立てという雰囲気が、彼の回りに漂っていました。
学生時代はさぞかし秀才であったろう・・と、その色白の面立ちは、私に想像させるのでした。母親から夜食を作ってもらい、勉学に励む彼の姿が目に見えるようでした。のちに知った彼の年齢は27歳 ー。

言いたいことはあるかな?
ST検事から、そう問われた私は・・・。

「あります。私は、自分が逮捕された理由が分かりません。
 一体、私がどんな違法行為をしたと言うのでしょうか? 私の容疑は、廃掃法の再委託 に違反したと言いますが、それは県の担当課の要求に従ったまでです。
 私を逮捕するなら、担当課の職員たちも逮捕するべきでしょう。」

ST検事は、私からの反論が思いがけなかったのか、一瞬、目を泳がせましたが、
すぐポーカーフェイスに戻りました。

私は、言葉を続けました。
「それに、もうひとつあります。警察による現場検証が終わった後、
 私は、今回の再委託で逮捕された容疑と、まったく同じことをしました。
 それが合法とされているのに、なぜ、1回目は違法とされるのでしょうか?」


D様ー。
上記の私の言葉を説明させて頂きます。

話は、警察の現場検証の頃に戻ります。
それは、事件発覚後、まもなく行われました。

私は、警察の要請により、現場検証に立ち会うために倉庫に行きました。
思ったより大きな倉庫で、しっかりとした作りでした。
私は、とり合えずこの倉庫内に保管されていたことに安堵しました・・・。


現場検証の期間は2週間ほどだったと記憶しています。
私は、連日、現場に立ち会いました。

2週間・・・何故、そんなに掛かったのかと言えば ー。
警察は、廃棄物がそこにある容器をすべて写真に撮ったのでした。
また、何個かに一個は、中身を開け、ブルーシートの上にそれを広げました。
内容物を確認したのです。

何故、こんなことをするのだろう・・?
私は、密閉された容器をこじ開けてまで、写真にとる必要はないと思ったのです。

処分業者にとっての廃棄物とは、まさに「容器」にほかなりません。
受けとったままの状態で焼却炉にいれるのが「処分」です。

処理業者が密閉されている容器を開けて、内容物を確認することはありません。
容器内は、搬出した医療機関が知るのみなのです。

つまり、容器が密閉されているということは、医療機関で収納したものがそのまま入っているということです。

この事件は、医療廃棄物を装い、不法な物を隠していたという事件ではなく、保管されていたという事件です。
容器を開け、中身をブルーシートに広げることはナンセンスです。また、仮にも「感染性」と分類がされている廃棄物ですから、倉庫内でのそんな行為はとんでもないことなのです。

※ 私は、在庫を搬出させるにあたり、傷んでいる容器はそのまま別の容器に入れ再梱包させましたが、その梱包を解けば、医療機関が出した容器が出てきます。その容器には、病院名、日付、内容物、そして、FK社の社名が明記されていたのです。


ともあれ 、
理解不能の警察による現場検証が終わり・・・。
FK社は、そこにあった在庫をすべて自社の倉庫内に戻すことにしました。

私は、再び、この戻された在庫の処分について、県の担当課と協議をしました。
すると、担当課のEN課長とIG部長は、他社へ委託して処分するようにと指導して来たのでした。

その指導を受け、私は、以前断られたIW市の大手業者に連絡しました。
しかし、1回目同様にすげなく断られてしまいました。
やむなく、また県外への搬出を検討しましたが、搬出までには時間が掛かることになります。以前にも書きましたが、受け入れ県の許可が必要となるのです。

その旨を担当課のIG部長に話したところ、部長は、受け入れを断って来たIW市の大手業者に連絡を入れ、即座に受け入れを承諾させたのでした。

(どんな業界も同様だと思いますが、許可権限を持つ、行政側の言うことには逆らえないのです。この大手業者も勿論、例外ではありませんでした。)


受け入れ業者が決まり ー、
私は、知人のつてを頼り、運転手と作業員を雇いました。
そして、会社で運搬車両を準備し、傷んだ容器を再梱包させ、当社が搬出元となるマニフェストを発行し・・・つまり、1回目とまったく同じことを行なったのです。

それは、行政が指導する「再委託」に他なりませんでした・・・。


さて、D様 ー。
ST検事の部屋に戻ります。

「何か言うことはあるかな?」

検事のその問いに対し、私は「あります」と答え、その説明を求めたのです。
1回目と2回目はどこが違うのかと・・・。

1回目の搬出が違法な再委託とするなら、2回目が合法だとは言えません。
1回目の運転手とHYを逮捕したなら、2回目の運転手たちも逮捕しなければ
公平を欠きます。

また、この「再委託」は、県の担当課の強い要請により行われました。
業者が、監督官庁の言うことに逆らえるはずもなく、私はそれに従わざるを得なかったのです。私を逮捕したなら、この担当職員たちも当然、逮捕しなければならないはずです。

ST検事は、私の問いには答えませんでした。
傍の書記官に、私の言うことをパソコンに打たせました。

ST検事と初対面の日は、それで終了でした。

私は、また、護送車でIW中央署の留置場に戻ったのでした。


D様 ー。
WT刑事による取調べが始まったのは、逮捕後、3日目だったと思います。

IW中央署の2階には留置課のほか、取調室があります。他にも何かの課があるようでしたが、何を担当している部署なのかは分かりませんでした。

取調室は5,6部屋あるようでした。
私は、その一室で、W刑事と向き合いました。

「これから、事情を聴取するから、正直に答えて下さいよ。」
W刑事の面立ちには、どこか人の良さが見え隠れしていました。

「隠す理由は何もありません。三食付きの別荘にまで御招待を頂いたんだから、正直に話します。
 何でも訊いて下さい。」

私のそんな憎まれ口にも黙ったままでした。

WT刑事は、事件の経緯を詳細に聴取していきました。
この件で、先に逮捕され、有罪の判決を受けたHYの供述と矛盾がないようにと、ストーリーに沿って調書を作り上げていくようでした。


D様 ー。
ここで、HYの逮捕について触れたいと思います。
HYが逮捕されたのは、私の逮捕に先立つ6ヶ月ほど前のことでした。
容疑は、「無許可での収集運搬」というものです。

つまり、廃棄物を収集運搬するには、廃棄物処理法で定めた許可が必要なのです。
警察は、HYがこれに違反をしたというのでした。

私はこの容疑を聞いて唖然としました。

HYにこの容疑をこじつけるのには、無理があるのです。
在庫の搬出作業はFK社が行ったのですから、HYが許可を得る必要はありません。
HYと作業員たちは、当社が臨時雇用して、社の仕事をさせたのです。

そもそも、FK社が、収集運搬の許可を持っているのですから、持ってない者にあえて委託をする理由はないのです。

警察は何を言ってるのだろう・・?

私は、HYの容疑に納得できませんでした。
彼の罪は、「在庫を不法に保管した」・・・ということに他なりません。


D様 ー。
廃掃法における収集運搬の「委託」について簡単に説明したいと思います。

収集運搬は、①自分で車両を用意し、②運搬先と契約し、③運搬する内容を記したマニフェスト(7枚綴りの伝票)を発行しなければなりません。

そして、④搬入先から伝票を受け取り、⑤搬出元に報告するのです。
また、必要に応じ、⑥担当課にも報告しなければなりません。

この事件の在庫搬出に関しては、上記①~⑥をすべてFK社が行なっています。
つまり、搬出はすべて当社の責任の下で行われたのです。
FK社が、HYに不法に委託したという問題は生じ得ません。

私は唖然としつつも、いずれこちらにも事情聴取があるだろうと考えていました。
しかし、それは一切ないままに、HYの裁判が始まりました。

HYは、廃掃法に関する知識はありませんから、検事が言うがままの調書が作られ、裁判に持ち込まれたことは、想像に難くありません。

私は弁護士に、HYの裁判が、私へ影響することは必至であるし、HYに面会して、その旨を抗弁するように言って欲しいと依頼しました。

しかし、この元検事の弁護士の腰は重いのでした。
歯に衣を着せぬ言い方を許していただければ、「何の役にもたたなかった」のです。

結局、HYは有罪判決・・・執行猶予が付いたため、彼は控訴しませんでした。

HYの有罪 ー それは、私にも飛び火することを意味していました。
不法に収集運搬を「受託」したというなら、不法に「委託」した者がいるということに他なりません。
委託したのは当然、FK社・・・代表者は私です。

そして、懸念の通り、私は逮捕されたのでした。

しかし、その容疑は「再委託」の容疑・・・検察は、まずこの容疑で逮捕し、
「不法委託」も付け加えるつもりだったのでしょうか。
そうだとすれば、その目論見は外れたことになります。

検察は、私に対し、「不法委託」の罪を問うことは出来ませんでした。
HYが、有罪となったにも関わらず、それを依頼した側は罪に問われないという、辻褄の合わない結果となったのです。


さて、WT刑事の取調べに戻ります。

W刑事は、私の供述を、HYのものと矛盾がないよう注意しているようでした。
しかし、私は事実をありのままに話すだけ・・・。

彼は、自分が持ってきたワープロに、私から聴取した内容を打ち込んでいきました。
その不器用そうな太い指は、意外にも早いキータッチをするのでした。

ある時 ー、
その勢いが余って、WT刑事は、私の言わない事まで夢中になって打ち込んでいました。

「ちょっと待ってください。そんなこと言ってませんよ。」
私は、彼に抗議しました。

しかし、WT刑事はこちらを無視し、その太い指でキーを打ち込むのを止めません。

「ちょっとー!! そんなこと言ってないって言ってるでしょうーー!!!」
私の声が、響き渡りました。

「あー、もう何も話しません。これに抗議して今後は黙秘します。」

W刑事はようやくキーボードから手を離し、私を見ました。
「分かった、分かった・・」
WT刑事は、その部分をようやく消したのでした。


その日、留置場に戻ると・・・・
「鉄格子の部屋」のルームメイト、MNちゃんは言うのでした。

「M子さん、今日はすごく怒ってたね。私の方にまでM子さんの声がビンビン聞こえて来るのよ。刑事さんの声は 全然聞こえないのに。」

MNちゃんが取調べを受けていたのは、すぐ隣ではないはずです。
私の声は、かなり大きかったのでした。

そして、NMちゃんは、取調べの婦警から、「あなたも、あのくらい元気に話しなさい」と言われてしまったのでした。


さて、D様 ー。
私は、自分でも意外なほど、留置場生活にすぐ順応したのですが、気がかりなことが一つだけありました。

それは・・・。
この続きを次回に書かせて頂きます。


季節は、冬の真っ只中へと歩を進めています。
どうか御自愛くださいますよう ー。


2010.12.9
万 留 子



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